第十七話 安曇川駅と奴国の謎

本当は恐ろしい駅名と古代史
 今回は、列車の旅でも、グリーン車の話から始めよう。
 この歳になっても普段電車では立っていることが多いが、「ちょっと鎌倉へ」と「小さな旅行気分」の時は、つい新宿からグリーン車に乗ってしまう。
 若いころは、「グリーン車に乗ってふんぞりかえっているようなオトナにはならない」と真剣に思っていたが、そうじゃなかったね。偉ぶっているんじゃなくって、お金出してでも、のんびり、ゆったりしたいわけさ。休みらしい休みもなく働いているオトナは……。
 けれども、JR東日本のグリーン車、どうにかならないか。どうということはないし、ゆったり感もないではないか。東海道線と横須賀線はドル箱路線ゆえの詰め込むグリーン車だ。グリーン券を買って乗り込んでも、満席で座れないことがある。これで本当に良いのだろうかと、つい考え込んでしまう。旧国鉄の「乗せてやっている感」丸出しの発想だ。勘弁してほしい。
 日本は、まだまだ貧しいぞと、不安にさえなってくる。お粗末きわまりないではないか。窮屈で混んでいてくつろげない。効率ばかりを考えていないで、少しは客の身にもなってみろ。そして、関西の私鉄を見習いなさい。
 関西の私鉄特急の多くは、特急券もグリーン券もとらない。京阪の特急なら、「タダなのに横須賀線グリーン車よりもゆったり」している。もちろん、複数の路線が京都と大阪を結んでいるから、こういう「サービス競争」が勃発しているわけだ。その点、JR東日本は、努力と誠意が足りないと思う。黙っていても、大勢の客が利用するから、あぐらをかいている。在来線のグリーン料金は、ぼったくりですな。
 近鉄特急の「しまかぜ」「青の交響曲」を見よ。あれが、グリーン車ですよ。あの座席なら、お金出しますわ。
 
 そろそろ、古代史の話をしましょうか。
 前回(遙かな昔になってしまったが)の記事の最後に、次のテーマは「ヤマト建国の直前に、近江を陰から育てた勢力をあぶり出す」と言っておいた。だが、気が変わった。もう少し、遠回りをしておきたい。近江の安曇氏と古代史に占める安曇氏の大きさについて考えておきたい。
 湖西線に安曇川駅(滋賀県高島市安曇川町)がある。
 安曇川駅の「安曇」は、「アド」と読む。元々は、「アズミ」だったはずだが、訛って「アド」になった。もちろん、海の民・安曇氏の勢力圏だった。
 安曇川上流で、弥生時代の漁撈〈ぎょろう〉に使う土錘〈どすい〉(網の重り)が見つかっていて、海人たちの存在が確認できる。湖西から湖北(伊香郡阿曇郷)にかけて、安曇氏が定住していたこともわかっている。

湖西線の安曇川駅

 安曇氏が日本各地に拠点を構えていったのは、水の上を自在に往き来できるフットワークの軽さが原因だろう。そして、穂高神社の話の中で語ったように、船を造るための巨木を求めたのだろう。また、海の民は川を溯り、内陸部の流通をも支配していたのだ。琵琶湖の周辺に安曇氏が居座ったのも、水上ルートをおさえるという点で、理に適っていると思う。
 とはいっても、安曇氏は謎の多い氏族で、わからないことが多すぎる。
 古代を代表する氏族といえば、物部氏、蘇我氏、大伴氏、阿倍氏、(オマケで藤原氏)らの名が挙がる。その一方で安曇氏は、一般にはほとんど知られていない。しかし、安曇氏は黎明期のヤマトの王家と深くつながっていたし、この事実が、あまりにも蔑ろにされている。邪馬台国やヤマト建国を語る上でも、安曇氏を無視することはできないはずなのだ。
 ところで、これはどうでもよい話だが、TBSの安住アナウンサーは北海道出身というが、元をたどっていけば、安曇氏にたどり着くのではないか。

 安曇氏の祖は九州の奴国を支配していた。
『後漢書』倭伝に、次の記事がある。
「建武中元二年(五七)、倭の奴国〈なこく〉が貢物を持って朝賀した。(中略)光武帝は印綬を賜った」
 ここに出てくる印綬は、江戸時代に志賀島(福岡県福岡市)で見つかった金印なのだが、この記事から、弥生時代の倭(日本)を代表する地域が奴国だったことがわかる。
 奴国は、現在の福岡市と周辺の一帯だ。博多湾を支配し、壱岐、対馬という絶好の止まり木を活用して、朝鮮半島や中国と往来し、交易をして富を貯えていたのだろう。
 安曇氏の祖神は神話にも登場する。
 連載十四回で書いたように、『古事記』は、阿曇連の祖を「海神=綿津見神〈わたつみのかみ〉」といい、神社伝承によれば、対馬の和多都美神社が「ワタツミの宮(海宮、海神の宮)」で、海幸山幸神話の山幸彦(神武天皇の祖父)が訪れ、海神の娘・豊玉姫〈とよたまひめ〉と結ばれたのだという。『新撰姓氏録』にも、同じようなことが書かれている。すなわち、豊玉姫が安曇氏の祖だったことになる。豊玉姫は神武天皇の父・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊〈ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと〉を産み、豊玉姫の妹の玉依姫〈たまよりひめ〉が神武を産んだのだから、天皇家は「安曇氏の祖神のお腹」に宿ったことになる。
 ところが『日本書紀』は、安曇氏と豊玉姫の関係を認めていない。これは、由々しき事態だと思う。『日本書紀』は、なぜ安曇氏の名を伏せてしまったのだろう。おそらく八世紀の朝廷にとって、安曇氏は邪魔な存在だったのだろう。ならば、「なぜ安曇氏と祖神の関係は断ち切られてしまったのか」その謎を解けば、ヤマト建国の真相を明らかにすることができるのではあるまいか。
 
 安曇氏の謎を解く上で、どうしても避けて通れないのが、神功〈じんぐう〉皇后である。九州の宗像大社の伝承『宗像大菩薩御縁起』の記事を追ってみよう。
 九州の賊を討ち取った神功皇后は、反転して新羅征討に向かうが、このとき神功皇后は「妹の豊姫」を竜神(海神)のもとに遣わしたと伝える。「親子のちぎりで結ばれていたのだから、そのよしみで力を貸してほしい」と頼んだ。すると、潮の満ち引きを自在に操る石を手に入れたという。ここにある海神とは、安曇氏の祖神であろう。その証拠に、このあと安曇氏の祖神・磯良丸(磯良エビス)が登場する。

福岡県大川市にある風浪宮〈ふうろうぐう〉に、安曇磯良丸が祀られている。


 神功皇后の新羅征討の際、志賀島明神が磯良丸に身をやつし(影向〈ようごう〉)、ときどき姿を現していた。磯良丸は水陸自在の賢人ゆえ、神功皇后は迎え入れるよう命じた。しかし磯良丸は隠れてしまったので武内宿禰は一計を案じ、天の岩戸神話と同じ神楽を行い、八人の乙女に舞わせた。すると磯良丸は、亀に乗り、童子の姿で現れたので、神功皇后は磯良丸を水軍の楫取〈かじとり〉に命じた。
 神社伝承を鵜呑みにすることはできないが、神功皇后も、海神や安曇氏とつながっていたのである。
 神功皇后は邪馬台国とヤマト建国の謎解きの鍵を握る人物だが、安曇氏も同様に重要な人たちなのだ。
 次回はもう少し、安曇氏と奴国の話を深めてみようと思う。

関 裕二 (せきゆうじ)

1959年千葉県柏市生まれ。歴史作家。仏教美術に魅せられ、足繁く奈良に通う。『古代史謎めぐりの旅 出雲・九州・東北・奈良編』『古代史謎めぐりの旅 奈良・瀬戸内・東国・京阪編』『仏像と古代史』(すべてブックマン社)、『蘇我氏の正体』(新潮社)、『東大寺の暗号』(講談社)、『神社仏閣に隠された古代史の謎』(徳間文庫)、『捏造だらけの「日本書紀」』(宝島社)など著書多数。