第10回 続・あの日の追憶

不登校日記
 僕が前回の「あの日の追憶」を書いている時、外でバイクの音がして、郵便受けに何かが入った音がした。「おそらく郵便バイクだろう」と思い外に出てポストを開けると、中に毎度おなじみS不動産の宣伝チラシに紛れて、個人からの手紙が入っていた。
「誰からだろう。もしかして、本を読んでくださった方からのお便りかな」と思い、差出人を見て僕は驚愕のあまり危うく石畳の上でひっくり返りかけて、「※!-@#?♭*+♪!!」と声にならない叫びの声(?は困惑!は驚愕♪は喜びを表している。後は自分でもようわからんので解読は読者の皆さんにお任せします。)をあげて、手紙を持ったまま玄関に突進した。
 祖母が僕の叫び声を聞いて、廊下で腰を抜かしていたが、僕は黒目が上下逆向きになっている状態で、無言で祖母に手紙の送り主を見せた。すると祖母は、腰がさらに抜けてへたりこんでしまった。そう、手紙の送り主は、丁度「あの日の追憶」に書いている最中の先生その人だったのだ。
 偶然とはいえ、そのあまりの巡り合わせに、なぜか脳裏に仏壇の阿弥陀如来が浮かんだ(家の二階には聖母マリア像、その隣には金剛力士像が飾ってある。我が家の宗派は仏教とキリスト教のごっちゃまぜだ)。

 先生の手紙には、こう書いてあった。「(前文略)先生は今、保健室の先生となりました。(中略)逃げたいと感じても逃げることもできず、苦しみ続ける人もたくさんいます。そんな人たちが、ここに来れば大丈夫、力を貸してくれる、そう思ってもらえるような保健室を目指して活動しています。そう思えたのも、凜太郎さんと出会うことができたからです。もし出会っていなければ、ただ、体の傷を手当てする場所になっていたかもしれません。毎日五十人を超える人が、保健室にきます。さかむけが痛いというものから、私だけでは力になれないものもあります。そんな時は、私から力になれる人を紹介することができます」。僕は深く感動した。

“保健室”で思い出してしまったことがある。本当は封じておきたい記憶だが、僕は、学校の闇を照らす為にキーボードを打つ。だからこの記憶も今打ち明ける。
 これは僕が小学生の時の事だ。僕はいじめを遊びとする同級生の集団に追いかけられ、そこから一番近かった保健室に飛び込み、中から鍵を掛けて「かくまってください」と言った。すると、保健室にいた先生は「駄目です」と言った。僕が「何故ですか」と聞くと、先生は「怪我をした子が来るからです」と言った。僕は、「来ないじゃないですか」と言ったが先生は「これから来るんです」と言って鍵を開けた。外には僕が出て来るのを待って、何人もの暴力者が扉を叩いて叫んでいる。この先の出来事は皆さんにも想像できるだろう。
 でも、手紙をくれた先生は違う。目の前で救いを求めている者を、いつ来るとも知れない怪我をした生徒の為に、追い返すようなことはしない。追憶の先生は、多くの生徒を救う保健室の天使となっておられるだろう。

保健室天使のいれば春陽差す

 


小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。
小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。

小林凜 (こばやし・りん)

本名・凜太郎。2001年、5月大阪生まれ。中学3年生になった今も不登校の日々が続く。小学校入学前から句作を始め、9歳の時に朝日俳壇に「紅葉で神が染めたる天地かな」で初投句初入選。

2013年に『ランドセル俳人の五・七・五 ~いじめられ行きたし行けぬ春の雨』、翌年『冬の薔薇立ち向かうこと恐れずに』(ともに小社)を出版し、話題を集める。好きな俳人は小林一茶。母と祖母と犬と暮らす。