第13回 沈黙の意味

不登校日記
  広島で痛ましい事件(※)があった。僕は新聞でこの事件を知り、愕然とした。
 志望高校の推薦を受けられなかった中学三年生の男子が自殺したのだ。原因は、その生徒が一年生の頃に万引きをしたということからだ。だが、その万引きをしたのは別の生徒のであるいうことが判明していたのに訂正されないまま、教師はその非行歴を何の関係もない男子生徒の記録に入れていたのだ。
 教師から廊下に呼び出され、万引きしたことがあるから推薦を受けられないと聞かされた男子生徒はただ「えっ」と言った後、沈黙するしか出来ず、過去に万引きをしたことがある、ということに決まってしまったのだ。推薦を受けられなかったショックからか、彼は死を選んだ。
 彼の無念を思うとたまらない。なかには「死ぬ以外に選択肢はなかったのか」という人もいるだろう。だが、夢を失い、指導者に見捨てられた彼には「死」一択だったのかもしれない。そして、その気持ちを理解しようとしない大人(教師)が第二、第三の悲劇を起こしていくのだ。

 「沈黙」による冤罪なら僕にも思い当たる事がある。それは僕が小学三年生の時、給食の時間、急に担任に廊下へ呼び出された。何事かと思い出てみると、そこにはA君が担任と共に立っていた。担任は、僕に「君は彼に『岩石頭』と言っただろう」と言って、A君を指さした。その剣幕に、教室ではしゃいでいた生徒が一瞬で静かになった。確かにそういうことはあった。だけど「岩石頭」と言ったのは僕じゃない。A君の方だ。
 彼は一方的に、自分が言われたと連呼し、僕に発言の隙を与えなかった。僕は責め立てられたり、相手の勢いが強すぎると、反論を諦めてしまう短所があるのだ。よって僕は沈黙し、何も言い返せなかった。
 そのまま僕は解放され、その後は特に何事もなく放課後を迎えた。しかし、本当の事件は帰宅後に起こった。
 僕は給食の前の出来事はきれいさっぱり忘れ家に帰った。数時間後、家の電話が鳴った。祖母が電話に出ると、それは担任からだった。
「今日、凜太郎君がA君を『岩石頭』とからかいました」。
祖母は、「わかりました。母親が帰って来たら報告します」と言って電話を切った。
そして僕に「本当か?」と聞いた。すると僕の目から自然と涙が出てきた。「なぜ先生は僕を疑うのか。相手が偽りを言っていると考えないのか」。悔しいからか、悲しいからかは分からない。一年や二年の担任と違い、唯一信頼していた三年の担任からの通告。それだけで、泣きたくもないのに涙が出てきた。それを見て祖母は全てを悟ったらしく、もう何も言わなかった。
 帰宅した母はそれを聞いて「それって、A君の家に謝罪の電話を入れよ、と言うことなの?」と言ったが、祖母が「まぁ待ち」と言って止めた。
後日、祖母は通学路でA君と出会った。祖母は、「岩石頭と言ったのが誰なのか、本当のこと教えて」とA君に聞いた。するとA君は笑顔で、「俺や俺や、俺が言うた。凜太郎が言ったと言うたのは冗談なんや。俺、凜太郎に謝るわ」と言ってくれたそうだ。そして僕は彼の謝罪を聞いた。
 なぜ担任はA君を疑わなかったのか。皆さんは、僕が黙っていたからだと思うだろう。沈黙=認めた。それは間違っている。人間同士のコミュニケーションについて研究しているあるアメリカの言語学者が、「六十五%は言外の交流で、言葉によるものは二十%に過ぎない」と言っていた。担任は、僕の発言にだけ気を取られ、僕のA君に対する恐怖や、沈黙せざるをえない空気を読みとれなかったのだ。

 後にその担任は僕の六年生の担任にもなったが、趣味の話を聞いてもらえるほどの間柄になった。僕は毎朝登校してすぐに、その先生に会うために職員室に直行した。僕の卒業後、その先生が転勤される時、僕はお別れの挨拶に行った。また、A君は僕を虫取りに誘ってくれる優しいリーダーになった。六年生の時は、僕のいる教室に来て、一緒に給食を食べ、昼休みは彼の友達と一緒に遊んだ(これは、薔薇の先生が計画してくれたことだ)。彼の記憶は、小学校時代の最高かつ忘れられない思い出だ。

 この事件の後、僕は母に、「イエス」と「ノー」をはっきり伝えるようにと言われた。身に覚えのないことは絶対にノーと言わなければ、エドモン・ダンテス(無実の罪で十数年間投獄された。別名、厳窟王)のようになってしまう。だが、僕は「『イエスと言え』と言われて脳天に拳銃を突きつけられたらどうするの」と言って母を困らせた。
 それから中学生になって、女子に無実の罪を着せられ、僕の反論に聞く耳を持たない教師陣に囲まれ、「謝れ、謝れ」「ごめんの三文字言えば帰れるんや」と言われ、謝らされそうになっても、僕は断固「ノー」を主張し、夜七時を回るまで戦った。もうあの時の沈黙の僕は消えた。今はイエスとノーをはっきり主張できる僕だけがいる。

(※編註: 2015年末、広島県の中学3年生の男子が自殺し、その真相が今年の3月に明らかになった。生徒は担任教師から、万引きをした過去があるため志望校に推薦が出せないと言われ、それを苦に自殺。しかし万引きをしたのは別の生徒で、自殺した生徒とは無関係であったと判明)

 


小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。
小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。

小林凜 (こばやし・りん)

本名・凜太郎。2001年、5月大阪生まれ。中学3年生になった今も不登校の日々が続く。小学校入学前から句作を始め、9歳の時に朝日俳壇に「紅葉で神が染めたる天地かな」で初投句初入選。

2013年に『ランドセル俳人の五・七・五 ~いじめられ行きたし行けぬ春の雨』、翌年『冬の薔薇立ち向かうこと恐れずに』(ともに小社)を出版し、話題を集める。好きな俳人は小林一茶。母と祖母と犬と暮らす。