第15回 束の間の春――あざみ咲く学校

不登校日記

あざみ咲く終〈つ〉いの学舎と願いけり

 これは、僕が中学一年生の頃に詠んだ句だが、“終いの学舎と願いけり“ということは、前の学校があったということである。それは、たった三週間の電車通学だった。
 僕はいじめの続いた環境から脱出すべく、新たな友達との出会いを願い、母と相談して、私立中学校の受験をすることにした。いじめから逃れるために、自宅で受験勉強に励み、その四ヶ月後の試験に挑んだ。
 そして合格発表の掲示板に僕の番号が載った。僕は飛び上がらんばかりだった。これで新しい学校生活が始まる。僕をいじめる奴のいない新しい場所で……。そう思えたことが、どれほど僕を安堵させたことだろう! ぴかぴかの革靴を履いて米俵レベルの重さの鞄を肩に、通勤ラッシュ最中の電車で通学した。人波に押し出されたと思えば再び引き込まれ、最寄り駅から途中で乗り換えて一時間半の電車通学も一つの楽しみだった。
 

革靴の黒光りしておらが春

吸い込まれ押し出され行き春の駅

 ある朝は、出勤途中の小学校時代の恩師、「薔薇の先生」に最寄り駅の改札口で出会った。あまりの驚きと嬉しさに、周囲を構わず叫んだ。駅のホームから大急ぎで祖母に「今、A先生に会った!」と電話した。その直後、薔薇の先生からも「凜ちゃんに駅で会いました!」と祖母に電話がかかってきたそうだ。祖母は「恩師って有り難いなあ」と言った。
 だが、それはつかの間の喜びだった。まさかと思うタチの悪いいじめ、嫌がらせを好む生徒がここにもいたのだ。希望に溢れた春は、ほんの束の間だった。
 入学してすぐの身体測定の時、それは起こった。僕が体重計の順番を待っていると、いきなり、そばにいた生徒が笑顔で振り向いたと思ったら、奇声を上げ、芯を長く伸ばしたシャープペンシルを僕の顔に向けて振り下ろしてきた。すんでの所で僕はそれを受け止めたが、彼は列を抜けて走って行き、再び奇声を上げて他の生徒にシャーペンを振り下ろした。これは小学校でも無かったことだ。僕は自分の体重測定の番が来たので、担当していた教師にそのことを話したが、「そうですか」で片づけられてしまった。
 本来なら小学校でも問題にされる危険ないじめだ。相手は僕が反撃しないと分かるとしつこいのだ。教室でも「○○(生徒の名)が凜太郎をやってこいと言ったので来ました」と席の後ろの方からその○○の手下が、僕にからかいや嫌がらせといった形で奇襲攻撃を仕掛けてきた。
中学では平穏に暮らせるだろうと思っていた自分は、遠い過去となった。もううんざりだった。しかも教師に訴えると、「相手の子はそんなことしていないと言っている」という返事だけだった。
 だが、授業は楽しかった。楽しみにしていたパソコンの授業では、タイピング専門の先生以上の高得点をたたき出し、コンピューター部の部長になったが、それも三日…いや三週間天下となった。 
 きっかけとなったのはある夜のことだった。嫌がらせやいじめには免疫がある僕だが、こんな危険な悪ふざけを放っておいて良いのかと、家で話し合った。母は、小学校六年間の経験から、いじめが定着しない早期に歯止めをかけることが大事であると言って、担任に電話をかけることに決めた。すると、すぐに教頭に代わった。教頭の口からは「凜太郎君も動作が遅くて周りのみんなをいらいらさせています」という、問題と関係のない答えが返ってきた。悲しくて、悔しくて、そして呆然とした。動作が遅い僕が皆をいらいらさせるから、いじめが起こるのだと言っているのも同然だった。先生、その「みんな」の中には貴方も入っているのですね?
 母の決断は早かった。「生徒の身体的な弱点を指摘して問題をはぐらかすような管理職のいる学校には行かせられない」と、即刻、この中学校を辞めることにした。生徒や教師を指導する管理職がこれでは、何の希望もあったもんじゃない。

天国の雲より落ちて春の暮

 小学校低学年の時、上級生から命にかかわるほどの悪質ないじめを受けた。給食のお盆を持って階段を降りている時、後ろから突き飛ばす。胸部を跳び蹴りされ、呼吸が苦しくなり、声が出ず、先生が見つけにくるまで動けず倒れていた。
 空手を習っていた同級生からは腹に回し蹴りをされたり、顔を見るたび顔面空手チョップをされたりすることが、日常茶飯事だった。訴えても全て隠蔽した教師とは、話し合っても無駄だった。その教訓から、これ以上この管理職と話をすることを諦めたのだった。

 もちろん、コンピューター部部長の位も廃位となった。それがいわゆる、三日天下ならぬ三週間天下であった。入学からわずか三週間のことであった。
入学費などの初期費用、数十万円近くを棒に振らせてしまい、僕は母に対し申し訳ない気持ちで一杯になった。母は「お金は働けば戻ってくる。お金で買えない凜の大切なものを守るためだよ」と言った。祖母は「お金はもったいないが、価値のない忍耐はしなくていいの」と言った。
 ちなみに、制服は校章をひっぺがして再利用した。革靴と靴下は、そのままどちらも正装用として利用している。
 それから約一ヶ月間、転校先の学校が決まらず、自宅学習の日々が続いた。
 そんなある日、ついに僕の行く中学校が決まった。市内の公立中学校だ。家から車で三十分、自然豊かな場所にあり、学校周辺にはあざみが咲いていた。通学路は秋になればコスモスが咲き乱れる。
 登校初日、校長先生が僕にこう言った。「この学校に来てくれてありがとう」と。
 好調にスタートを切ったと思えた新生活だったが、そこにも新たなる戦い(第1回に詳しく記してある)と共に、第二の薔薇の先生との出会いが待っていたのだ。

 


小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。
小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。

小林凜 (こばやし・りん)

本名・凜太郎。2001年、5月大阪生まれ。中学3年生になった今も不登校の日々が続く。小学校入学前から句作を始め、9歳の時に朝日俳壇に「紅葉で神が染めたる天地かな」で初投句初入選。

2013年に『ランドセル俳人の五・七・五 ~いじめられ行きたし行けぬ春の雨』、翌年『冬の薔薇立ち向かうこと恐れずに』(ともに小社)を出版し、話題を集める。好きな俳人は小林一茶。母と祖母と犬と暮らす。