第16回 水仙の先生

不登校日記
 僕の転校先の学校は、自然豊かな学校だった。春には蝶が校庭を舞い、夏には野鳥が教室に迷い込んでくる、そんな所だ。

 迷い来て野鳥も授業受ける夏

         
 転校当初は、忘れ物をした僕に後ろの席の生徒が貸してくれた。全員で班を作るという弁当の仕組みも、みんなが笑顔で僕を招き入れてくれたので、当時は奇怪に思わなかった。そして何より、僕が当時も今も信頼しているS先生がいた。
 S先生は週に二回だけ来て下さる先生だ。S先生との最初の思い出は、「猫」だった。 
それは移動教室の帰りのことだった。体育館の入り口付近で上級生の女子達が騒いでいる。何事かと思い、S先生と一緒に見に行ってみると、捨てられたのか、それとも野良猫が産んだのだろうか、一匹の猫の赤ちゃんが体育館の影からこちらを見ていた。女子達はそれを見て騒いでいたのだ。僕は可哀想に思ったが、家には犬のすみれがいるのでどうすることも出来ない。その日の夜は激しい豪雨となった。僕は子猫の身を案じながら眠りについた。
 翌日、S先生と共に再び子猫のところへ行った。すると、猫は横になって眠っているようだった。最初はただ眠っているだけかと思ったが、何かおかしい。僕とS先生が近づいても、起き上がろうとしない。さらに、昨日まできれいだった毛はぼろぼろになっているのだ。僕が棒きれで猫をそっとつつくと、猫はすでに固くなっていた。昨日は立って歩くほど元気だったのだ。おそらく昨夜の豪雨による体力低下に加え、何かに襲われたのか。
 S先生と僕は大いに悲しみ、二人で墓を作った。最後にS先生が穴の中の猫の上に、摘み取った花を供えて、僕が上から土をかけた。そして、ここが墓だと他者にも分かるように、大きな石を上から載せた。
 
 

捨て猫のしとどの梅雨に打たれ逝く

猫の墓師と手向けたるすみれ草

それから数日後、S先生と僕は猫の墓参りに行ったが、墓石は取り除かれていた。再び乗せ直そうにも、載せたはずの石自体が見当たらない。仕方がないので、僕は別の大きな石を墓があったであろう所に乗せて、その周りに、主張するかのように小さな石を円状に並べた。

師と埋めし子猫はいずこ夏の雲

 ある日、S先生が「少し散歩に行きましょうか」と声をかけてくださった。実はその前日に、僕はクラスメートの女子の聞き間違い(彼女たちが普通に使っている『きしょい』という言葉を僕が言ったという聞き間違い)で謝罪を要求され、学年主任率いる教師四人に夜七時が回るまでつるし上げに遭い、そのことに対し激しく教師達を憎んでいた。(第一回参照)S先生はそんな僕の気持ちをリラックスさせる為に校長先生に許可をもらい、近所の神社に散歩に誘った。神社は学校から少し歩いた所の、山の中の自然豊かな場所にある。僕は山道を歩きながらずっとS先生に、自分を陥れたクラスメートや自分を苦しめた教師達への恨み辛みを語った。その激昂は山道の木一本を枯らしてしまうほど凄まじいオーラとなっていたに違いない。S先生はそれを黙ってうなずきながら聞いていた。気が付けば、一時的ではあったが僕は教師達への怨念を忘れていた。
 それからしばらくして僕は学校を休んだ。聞き間違いで謝罪させられそうになった事件以来、教室ではバイ菌扱いされ、嫌な思いをしていたが、それに加えて、転校してきた当初は友好的だった上級生の態度が変わってきたのだ。
  図書室で床に座って本を読んでいる僕の後ろから蹴り飛ばしたり、掃除中に無理矢理肩を組んで仲が良いように見せかけ、自分の教室の掃除をさせようと連れて行こうとしたりした。廊下で出会うと、集団で嫌がらせや「こいついじったら面白いで」「こいつの挨拶の仕方、面白いんや」などと暴言を言い始めた。僕は廊下を安心して歩くことができなくなった。
 三学期からは、当時の校長先生と母が話し合って、別室に登校することになった。教室で仲間はずれにされることも、廊下で上級生に出会うことも無く、別室で平穏な環境で勉強した。S先生が、「家で育てているのですがどうぞ」と、家から持って来たはじけた綿の実をくださった。初めて見る綿の実に、捕まえたダンゴムシをもぐらせて持って帰った。それは今も我が家の窓辺に飾ってある。 
S先生がくださった綿の実

綿の実の中に眠るやダンゴ虫

先生と校庭で、瀕死の仲間を巣穴へと担いでいく蟻も観察した。

踏まれたる仲間運びし蟻のいて

 この二句を綿の実の御礼に先生に渡した。
 一年生の三学期、校長先生がきれいな花の鉢を別室に持って来て下さった。その花の名前は分からなかったが嬉しかった。僕の中で一足早く春が来た。(この校長先生は僕の二年生の四月には転勤された)

名も知れぬ花鉢置かれ春来たる

 それからというもの、僕とS先生は勉強が早く終わると、神社へ自然観察というリフレッシュをしに行った。道中、水仙も群れて咲いていた。僕とS先生はそこで美しい自然を見て過ごした。猪狩りの猟銃の音が間近で聞こえてきて焦ったり、神社で願掛けをしたり、変わった虫や植物を見つけた。

師と行けば視界一面野水仙

猟名残〈りょうなごり〉捕らえし虫を放ちけり

手を合わせ師と願掛けや野水仙

 春が来て、僕は二年生になった。学校は校長先生が替わり、新しく来た若い教師とも最初は楽しかった。僕は別室登校をやめ、教室で授業を受けることにした。しかし教室では僕をバイ菌扱いして面白がり、止める者もいない。教室は、やはり地獄だった。教師に訴えても何も変わらなかった。僕の神経はくたくたで授業を受けるどころではない。
 ある朝母が、「本人の希望で別室での勉強にして下さい」と頼んだ。ところが新しく来た若い教師が教室に帰ることを強要し、「教室に帰ればお母さんもおばあさんも先生方も、凜太郎を愛してくれている人全てが喜ぶ」と訳の分からないことを言い、「他の先生に助けを求めてもムダやで」と、執拗に僕を責め続けた。これを聞いた母が「教育現場で教師による生徒への精神的嫌がらせがあっていいのか。そもそも、親も本人も別室を希望しているのに、なぜ無理矢理教室に帰らそうとするのか」と抗議した。いつしか、別室登校も地獄と化し、週二回出勤されるS先生に助けを求める事も出来なかった。
 そして僕は家庭学習を選んだ。皮肉にも僕は生徒間の争いには抗体ができていたが、学校という組織の中で、教師をはじめ、大人からの精神的嫌がらせには耐えられなかったのだ。世の中には、「どこへ行ってもやられるダメ人間」と批判される生徒がいる(僕も含めて)。ダメなのは彼らではない。いじめを咎めず、隠蔽、助長した上、「じゃれ合い」だと誤魔化す学校は確実に存在している。また、問題が起こっても対処しようとせず「弱者」を「ダメ人間」扱いすることにより責任を逃れている教師とそれを認めている存在が明るみに出ていないだけなのだ。
 その後二年生が終わるまで、S先生に会うことはなかった。

冬桜会いたき人のいれば咲く

 


小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。
小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。

小林凜 (こばやし・りん)

本名・凜太郎。2001年、5月大阪生まれ。中学3年生になった今も不登校の日々が続く。小学校入学前から句作を始め、9歳の時に朝日俳壇に「紅葉で神が染めたる天地かな」で初投句初入選。

2013年に『ランドセル俳人の五・七・五 ~いじめられ行きたし行けぬ春の雨』、翌年『冬の薔薇立ち向かうこと恐れずに』(ともに小社)を出版し、話題を集める。好きな俳人は小林一茶。母と祖母と犬と暮らす。