第18回 手の中の灯火【前編】

不登校日記
 それはGWの朝、公園へ犬のすみれと散歩に行った時のことだった。土手の上に何かが落ちている。よく見ると、それは雀の子どもだった。体中枯れ葉がついている。僕は、もっと近づこうとするすみれを引き離して祖母に預け、雀に近づき、そっと手で包もうとした。ふつうなら、ここで自分の巣に飛んでいくはずなのだが、雀の子はぴょんと飛んで後ずさる。けれども、両脇から手で覆ってやれば、大人しくなった。そのまま僕は家に連れて帰った。手の中で、子雀はぷるぷる震えていた。僕はそっと「守ってあげるから」と声を掛けた。
 自宅に着いたが、両手がふさがっていたので、手の甲でインターホンを押した。だが、中にいるはずの母が出てこない。二回、三回と押すと、風呂掃除をしていたらしい母がようやく出た。僕は無言でインターホンのカメラに雀を写すと、スピーカーから「ひゃあー」と悲鳴が聞こえてきた。と同時に、「どうせ死ぬのに!」という言葉が返ってきた。
 母は家から出てきた後も、「どうせ死ぬのに!」と言ったが、僕はそれには構わず、「猫に引き裂かれて死ぬよりましや」と言った。母はそれ以上、死の事については触れなかった。後で母が語ったが、母も子供の頃、巣から玄関前に落ちた小雀を拾ったことがあったそうだ。水を飲ませて布の上に寝かせてやったが、その日の夜にひと声鳴いて死んでしまった。姉妹で大泣きして、誰かの古い緑色の服で(母はその時の古着の色まで覚えている。)動かなくなった小雀を覆い、次の日、祖父と一緒に竹藪に埋めに行ったという。

 母は次に、「どうせ死ぬ」と言う代わりに、「何か入れ物ないの」と言った。二人でガラクタが山を成す裏庭を引っかき回した結果、僕が昔、クワガタムシを買った時の小さめのプラケースが出てきた。僕は、プラケースにキッチンペーパーを敷き詰め、その上に小雀をそっと乗せた。だが、息が荒く、激しく背中が上下している。僕はひとまず、スポイトで水道水を吸って、小雀のまだ黄色いくちばしに一滴垂らした。すると小雀はぴちゃぴちゃ音を立ててそれを飲んだ。二滴、三滴と飲んでいく。しばらくすると、背中の激しい上下の動きも収まった。だが、それを見た祖母が、「枯れ草とか要らんか?」と言ったので、僕は大急ぎで自転車を飛ばし、小雀の居た辺りで枯れ葉をかき集めた。その日は五月初旬であるにもかかわらずかなりの暑さで、帽子を被っている僕でさえ、汗が止まらなくなったが、僕の中にはあの小さな命を助けようという思いしかなかった。
 何とか枯れ葉を集めたが、これだけで雀の巣を再現できるはずがない。やはり藁も必要だ。僕は庭を必死に探し、枯れた単子葉植物を引っこ抜いた。そして、枯れ葉と合わせてプラケースの中のキッチンペーパーに円形に並べ、その上に小雀を乗せた。小雀は本来の環境に近くなったのか、また少し落ち着いたようだ。

  だが、まだまだ問題がある。小雀はもともと野生にいたのだ。だから最終的には放鳥してやろうと思っていた。野生に返す為には、親雀の代わりにエサをやり、育てなければならない。そこで、僕と母はペットショップまで、ひな鳥のエサを買いに行った。
 ペットショップで鳥獣専門の店員さんに、育て方を聞くと、「雛が巣から落ちるということは、落ちる原因になった欠陥が雛にあるからなので、自然に戻れる可能性は低いです。たとえ放鳥したり落ちた巣に戻してやっても生き延びることはほぼありません」。また、雀は野生の動物なので飼うことは実は認められていない、とも言った。でも僕には、公園の土手で丸い目をして僕を見ていた小雀を、放っておくことは出来なかった。僕にとっては、飼育が禁止されている動物を飼うより、法に触れるからといって怪我をした雛を見捨てる方が重罪だ。とにかく、生きさせてやりたい。店員さんの説明を聞いて僕は、もうあの小雀は自然に戻れないという失望と、これからは我が家の家族として迎え入れられるという喜びが入り交じった複雑な心境になった。

  僕も中学校という巣から落ち、二度と戻れなくなった。正確に言えば、学校に居場所を無くし、決別せざるをえなくなったのだが。店員さんの話を聞いた時、自然の摂理とは言え、せっかく生まれてきたのに「弱い者」は生きていけないという悲しさを思った。雀がどういう理由で巣から落ちたにせよ、僕は元の雀の世界に戻してやりたいと思った。仲間の雀と共に大空を飛びまわれるようにしてやりたかった。それが無理なら、少しの間でも生かしてやりたかった。

  店員さんは、今度はエサについて話し始めた。「エサは基本、これを与えます」と言って取り出したのは、プラスチックのカップだった。よく見ると、それにはおがくずがぎっしり詰まっていて、そこで黄土色のミミズもどきが蠢いていた。僕はそれを知っていた。「ミルワーム」という砂漠に生きる甲虫、「ゴミムシダマシ」の幼虫で、成虫はカブト虫の雌を小さくしたものに似ている、砂漠に生きる者たちの貴重な栄養源でもある。最近は、それをエサとしてではなく、ペットとして飼う人も少なくないらしい。さて、ミルワームうんちくはこのへんにして、店員の説明に話を戻そう。 
 母は、そのミルワームの醜悪(そう思っているのは母だけだろう)な姿にドン引きしていたが、店員さんが告げたその与え方も衝撃だった。「これは、頭を包丁の背で叩き潰して、殻をむいて与えます」。それを聞いて母は頭の中が真っ白になり、僕は母より遅れてドン引きした。エサを与えるたびに悲惨な光景を繰り返すのはこちらの精神が耐えられない。
「配合飼料はありますか?」と聞くと、店員さんは、「野鳥が食べてくれるかどうか解りませんが…」と言って、鳥の餌売り場に僕と母を案内した。そこで僕たちは、小鳥用のパウダーフードを紹介された。それは、ぬるま湯で溶かして、注射器型の器具で鳥の口に直接注ぎ込む形式のものであった。僕と母はそれを買うことにした。僕は一つ店員さんに質問した。「巣箱じゃなくても、藁で編んだ巣みたいなやつ要りませんか?」店員さんは「要りません」とすぐに言った。その代わり、ほぐして敷く紙マットを紹介されたので、それも購入した(今思えば、店員さんに反して、その藁の巣を購入すればよかったのだ。そうすれば「あんなこと」にはならなかっただろうに)。

…後編へつづく

 


小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。
小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。

小林凜 (こばやし・りん)

本名・凜太郎。2001年、5月大阪生まれ。中学3年生になった今も不登校の日々が続く。小学校入学前から句作を始め、9歳の時に朝日俳壇に「紅葉で神が染めたる天地かな」で初投句初入選。

2013年に『ランドセル俳人の五・七・五 ~いじめられ行きたし行けぬ春の雨』、翌年『冬の薔薇立ち向かうこと恐れずに』(ともに小社)を出版し、話題を集める。好きな俳人は小林一茶。母と祖母と犬と暮らす。