第19回 手の中の灯火【後編】

不登校日記
 家に帰ってみると、小雀は元気に立って、ちょこちょことケースの中を歩いていた。祖母は、「雀、雀」と呼ぶのは何なので、「チュンちゃん」という極めて単純な名前を付けた。まだ鳴き声も聞いていないのに。すると、「チュン」という声が聞こえてきた。見るとプラケースの中から聞こえてくる。どうやら空腹のようだ。僕と母がエサを用意している間、「チュンチュンチュンチュン」と鳴き続けていた。そして、エサをやる時、母がチュンちゃんを持って、僕が注射器でエサをあげようとしたが、チュンちゃんはこれがエサと分らないらしく、エサを注射器で出してくちばしに近づけても、「チュン」と鳴いて頭を振って跳ねとばしてしまった。
そうこうしているうちに、チュンちゃんの顔や母の手は飛び散ったエサだらけになった。くちばしにエサがついているが、食べたかどうかは分からない。その後、僕たちが自分の昼食を食べている間も、チュンちゃんは「チュンチュンチュンチュン」と鳴いていた。騒がしい新入りに、カエルのケロちゃんが対抗して「ゲコ、ゲコ、ゲコゲコゲコ」と鳴き出したが、鳴き疲れて黙り込んだ。チュンちゃんは、その後も僕と祖母が鳴きすぎて疲労死するんじゃないかというくらい鳴いたが、やがて鳴き疲れて静かになった。
 夕方、再び母とチュンちゃんのエサやりに挑戦した。今度は、たまにしか「チュン」と鳴かない。僕と母はほんの一瞬、チュンちゃんが口を開けた瞬間に、注射器のチューブを突っ込んで、口を閉じるまで注入した。そして、ある程度食べると、全く口を開かなくなったので、あとは夜にした。そして、せっかく歩き回れるようになったのだから、ケースを大きなケースにして、買ってきた紙マットをほぐして敷いた。夜のエサを与えようとしたが、チュンちゃんの目はとろんとしていて、すぐに閉じてしまった。どうやら、もう眠いようだ。

 プラケースごと二階に連れて行った。見ると、チュンちゃんはかなり寝相が悪いらしく、仰向けになって寝ていた。だが、僕が間違ってケースを少し揺らしてしまうと、飛び起きてきょろきょろしていたが、やがてチュンちゃんは眠った。そして、その目が再び開かれることはなかった。
夜中十二時近く、僕は泣くまい泣くまいと堪えたが、母が泣きながら「ちょっとの間でも守ってあげられたやん」と言ったので、堰が切れたように泣いた。その時は階下で寝ている祖母に伝えず、翌日になってから伝えることにした。祖母が聞いて眠れなくなることを心配した為だ。
 翌朝、チュンちゃんの死を知らされた祖母は、「えぇぇぇッ」と叫び、目を閉じ、しばらくの沈黙の後、「早すぎる」と呟いた。
 今思えば、原因はおそらく、寒さだろう。当時はまだ夜は少し寒かった。それに、本来鳥の雛は親と寄り添って寝る動物だ。紙マットだけでは耐えられなかったのだ。もし、あの時店員さんに反して温度調節用のツボ巣を買っていたら、こんなことにはならなかっただろう。僕は、チュンちゃんがいたのはたった一日足らずだったのに、まるで、生まれた頃から側にあった存在を失ったような気分になった。そして、まだまだ続くはずのGWが、この一日足らずでもう終わってしまうような気がした。
 翌日、チュンちゃんを拾った公園のそばに、三人と一匹で埋めに行った。その時の空は、まるで飛ぶことを知らない雛を迷わせることなく迎え入れるかのように、雲一つ無い青空だった。
 そして僕は、この出来事を境に、小さな命を、僕に初めて自分より弱い者を守るという思いを起こさせた命を、一日足らずで連れて行った神を信じられなくなった。

 

包んでも消える命や雀の子

 僕が我が手で包んで連れ帰った雀の子は、一夜にして手からすり抜けてしまった。

 


小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。
小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。

小林凜 (こばやし・りん)

本名・凜太郎。2001年、5月大阪生まれ。中学3年生になった今も不登校の日々が続く。小学校入学前から句作を始め、9歳の時に朝日俳壇に「紅葉で神が染めたる天地かな」で初投句初入選。

2013年に『ランドセル俳人の五・七・五 ~いじめられ行きたし行けぬ春の雨』、翌年『冬の薔薇立ち向かうこと恐れずに』(ともに小社)を出版し、話題を集める。好きな俳人は小林一茶。母と祖母と犬と暮らす。