第3回 薔薇の先生

不登校日記

 あれも僕が一年生の頃のことだ。僕は、入学当初から日常的にいじめを受けていたが、ある日、僕を学校に送ってきた祖母が初めてそのことをクラスの女の子から聞いた。「凜ちゃん、いじめられて毎日泣いてる」。祖母は「教えてくれてありがとう」と言った。
 ある日、教室で本を読んでいると、暴力を振るうのが好きな女子生徒が、いきなり僕から本を奪い取った。僕は「返して!」と叫び、相手を捕まえようとしたが、僕が追いつく寸前、その女子は「パス!」と言って側で構えていた仲間に投げた。僕は、今度はその仲間を捕まえようとしたが、彼はまた別の仲間にパスした。大事な本は、まるでボロ雑巾のように扱われた。それがいつまでも繰り返された。そんな時、扉が開いて誰かが入ってきた。と同時に、悪党達の動きが固まった。入って来たのは祖母だった(家で昼食を食べていた祖母は、何か胸騒ぎを感じ、徒歩十分で駆けつけたのだという)。いや、あと二人いる。一人は担任だ。もう一人は、当時は会うことも少なく、まだあまり知らなかったが、後に僕の運命を大きく変える存在となった先生だ。
 祖母は、この卑劣な鬼ごっこを見ていた。そして、僕の手を引いて「こんな所にいなくてもいい、もう帰ろう」と言った。しかし、担任は見てもいなかったのに、「みんなは凜太郎(僕の本名)さんに本を渡そうとしただけです」と言っただけで、帰り支度をする祖母と僕を引き留めようとすらしなかった。
 その時、後ろから、「私が凜ちゃんを引き取ります!」という声がした。もちろん担任の声ではない。振り返ると、担任と一緒にいたあの先生だった。その先生とは、入学してからまだ数回しか会ったことがなく、名前もよく覚えていなかったが、その時初めて、深く関わりを持った。僕はその先生に手を引かれて歩いた。その手は、「してないしてない」と言って僕を引きずり起こした担任の手よりずっと温かかった。僕たちは「通級指導教室」 (通級指導教室とは、週に1、2度、学習などの個別指導を受ける教室)と書かれた教室の前に来た。先生はそこの担任だったのだ。
       
 次の日から、僕の学校生活は色んな意味で「道」が変わった。フェンスをくぐって登校すると、いつもなら渡り廊下を渡り、悪意ひしめく教室へと向かうのだが、この日は、渡り廊下の前の別の棟のドアをくぐって、「通級指導教室」と書かれたドアを開けた。そこにいた先生は、冷酷な顔の教室の担任ではなく、とても優しい笑顔をした通級指導教室の担任の先生だった。
 もう、悪に泣かされ、偽善に振り回されていた昨日の僕ではない。優しい先生と共に歩む新しい学校生活が幕を開けた。僕は、ここで一年生が終わるまで過ごした。その後、その先生には小学校を卒業するまで助けてもらうことになる。先生とのたくさんの思い出については、続編で触れたいと思う。

 ある日祖母は、祖父が咲かせた薔薇の花を先生に届けた。先生はとても喜んで、通級指導教室に飾った。祖母はこの日以来、庭に薔薇が咲くと先生に届けるようになった。その度に、先生はその薔薇に負けない美しい笑顔で笑った。
 いつの間にか、我が家ではその先生のことを「薔薇の先生」と呼ぶようになった。

薔薇咲いて恩師の笑顔思い出す


小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。
小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。

小林凜 (こばやし・りん)

本名・凜太郎。2001年、5月大阪生まれ。中学3年生になった今も不登校の日々が続く。小学校入学前から句作を始め、9歳の時に朝日俳壇に「紅葉で神が染めたる天地かな」で初投句初入選。

2013年に『ランドセル俳人の五・七・五 ~いじめられ行きたし行けぬ春の雨』、翌年『冬の薔薇立ち向かうこと恐れずに』(ともに小社)を出版し、話題を集める。好きな俳人は小林一茶。母と祖母と犬と暮らす。