第5回 薔薇の先生Ⅲ――観音様の手

不登校日記

冬ごもり粘土で作る阿修羅像

 この俳句を詠んで思い出したことがある。
四年生のある日の音楽の授業で、音楽会に使う楽器の担当を決めることになった。僕は鉄琴を希望したが、僕以外にも希望者がいたことにより、特別ルールで決めることになった。しかし、その特別ルールは、僕に言わせれば非道なものだった。その内容とは、候補者二人を前に立たせ、他の生徒は全員、後ろを向かせて、候補者がそれぞれ演奏し、上手だった方に手を挙げさせる。つまり、一切の責任を生徒に転嫁する無責任なやり方で、選ばれる生徒にとっては、非常に残酷なやり方だ。
 相手の演奏が終わり、僕の番がきた。僕は演奏を終え、おそるおそる見ていると、僕に手を挙げている者は一人もいなかった。いつもは仲良く遊んでいた友達も、手を挙げる気配は全くない。僕は、全身から血の気が引いていくと同時に、現実を思い知らされた悲しみと、誰からも馬鹿にされたような悔しさを覚えた。何も知らない人が見ると、ただ単に僕が下手だけだったように思えるかも知れないが、実はそれだけではない。僕のクラスは、人をいたぶって楽しむ者達と、いじめの対象になる者達と、どちらにも属さない者達に分かれていて、僕以外の殆どが、いじめる者達だったのだ。そうでない者も、いじめをする者達ににらみを利かされ、自由に行動できないのだ。もし、僕の演奏が下手なだけであったら、友達や優しい生徒が「お慈悲」で一人や二人手を挙げてくれていたはずだと思う。
 そんな中、ふと教室の隅を見ると、一つの手が僕の方へ挙がっていたのだ。それは、この決め方をした音楽の教師とはまた別の先生の手だった。そう、授業を見に来ていた薔薇の先生だったのだ。僕は救われた気がした。今思えば、本来、生徒しか手を挙げないはずのこの多数決で、何故薔薇の先生が手を挙げてくれたのか。それは、僕の心を守るためだったのだろう。
 その話を家に帰って祖母にすると、祖母は「それはきっと観音様の手だよ」と言った。母は、「もし私だったら、候補者を二人ともクラスの外に出して二人と教師で話し合いをし、それでも決まらなければじゃんけんで決める。他の生徒は一切介入させない」と言った。「誰かが傷つく方法は採らない」とも言った。
それ以来、僕は仏像を見る度に「観音様の手」のことを思い出す。
 


小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。
小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。

小林凜 (こばやし・りん)

本名・凜太郎。2001年、5月大阪生まれ。中学3年生になった今も不登校の日々が続く。小学校入学前から句作を始め、9歳の時に朝日俳壇に「紅葉で神が染めたる天地かな」で初投句初入選。

2013年に『ランドセル俳人の五・七・五 ~いじめられ行きたし行けぬ春の雨』、翌年『冬の薔薇立ち向かうこと恐れずに』(ともに小社)を出版し、話題を集める。好きな俳人は小林一茶。母と祖母と犬と暮らす。