第6回 オタマジャクシ

不登校日記

 小学校二年生になると、状況はもっと屈辱的になった。
ある日、僕はオタマジャクシを沢山飼っている隣のクラスの女の子から、一匹貰うことになった。母と水槽を洗ったり、必要な道具などを買いそろえたりして準備した。
当日、僕はその女の子のクラスに行って、一匹を水と一緒にビニール袋に入れてもらった。すると、それをどこから見ていたのか、同級生の不良グループ3、4人が「よこせ」と追いかけてきた。僕は逃げまどい、トイレの中に逃げ込んだが、最後は追いつかれ、力の強い男子に押さえ込まれて、空手を習っている女子にオタマジャクシをもぎ取られた。その女子が教室の中で待っていた群衆に向けて、勝ち誇ったようにオタマジャクシを掲げた。群衆から歓声が上がった。これではまるで僕がオタマジャクシを奪っていたようではないか。
そこへ、一年生の時、僕を酷い目に遭わせたガキ大将が来た。その女子は、オタマジャクシをガキ大将に渡した。するとガキ大将は、全員の目の前でオタマジャクシの入った袋にハサミで穴を開けようとした。そこへ担任教師が来て、何をしているのかと聞いた。彼らは、「オタマジャクシを奪い返した」と言ったが、僕は断固否定し、「友達がくれたオタマジャクシを、あいつらが奪って殺そうとした」と主張した。しかし、奴らは「凜太郎に渡したら勉強せえへんで」と言い出した。すると担任は、「今日の授業が終わるまで私が預かる」と言って持って行った。
授業が終わり、僕は担任に、「オタマジャクシ返してください」と言った。すると担任は、紙の束の間や本棚など、変なところばかりを軽く探すと、「ない。どっか行った」とまるで自分の消しゴムかプリントを無くしてしまったかのような口調で言った。
結局、僕と一緒に水槽を用意してくれた母の努力も、友達の心遣いも、僕の期待も無駄になってしまったのだ。とうとう、僕が卒業するまで、「二年生の教室で袋に入った煮干し(オタマジャクシ)が見つかる!!」というニュースは聞くことはなかった。あの子はその後、どんな目に遭ったのだろうか。

また、こんなこともあった。
 七夕飾りを書く時、担任に願いごとを短冊に書くように言われた。幼稚園の頃から僕に親切で優しかった女子がいて、僕はまだ八歳で未熟だった故、彼女の名前と「彼女が好きだ」ということを書いた。それを担任は、廊下に飾った笹竹のてっぺんに吊るしたのだ。僕は、てっぺんに吊るされていることも全く知らなかったが、迎えに来た祖母が、名前を書かれた女子に「おばあちゃん、私、あれ、嫌やねん」と言われて気付いたそうだ。彼女もきっと嫌だったに違いない。
帰宅して祖母からそれを聞いた僕は職員室の担任に電話を掛け、「外してください」と言った。祖母に代わると、担任はしどろもどろに「どうかなと思ったんですけど飾りました」と白状した。
その夜、母にそのことを話すと、「そういうお願いは自分の心の中でするんだよ」と教えられた。更に母は、僕と祖母に「私が担任だったら『この短冊は大切に自分の家で笹に飾ろうね』と言うわ」と言っていた。翌朝、短冊は取り外されていたが、それ以来、その女子は全く僕に話しかけてこなくなった。
我が家では七夕の飾りは、かつては数日前から飾っていたが、それからというもの嫌な記憶を長く蘇らせないため、当日だけ飾ることになってしまった。時には笹を買い忘れることもあるほど、七夕は我が家にとってどうでもいい行事になってしまった。

 時は流れて五年生の頃、食べ終わった給食のお膳を運んで階段を降りていた時、六年生が僕を後から突き飛ばし、前のめりになった僕は、お膳に乗っていた皿や牛乳瓶などを全て落としてひっくり返してしまった。その時、皿や牛乳瓶が割れなかったのは不幸中の幸いだった。僕の側にいた先生が相手を呼び止めたが、突き飛ばした相手はスピードを速め、見えなくなってしまった。僕は彼の顔と名前を知っていたので、六年生の教室に行き、その担任に彼を呼び出すように頼んだが、六年生の担任は、僕が二年生の時に苦しめられた担任だったのだ。決して信用してはいけない。
担任はとりあえず彼を連れてきた。ところが、彼は僕を突き飛ばした事を断固否定し、僕が「嘘つけ!」と詰め寄ると、思い切り頭を振ってぶつけてきた。僕が悲鳴を上げて頭を押さえていると、後ろに付いて来てくれた先生が二人いて、「大丈夫か」と声を掛けてくれた。だがその担任は、向こうから頭突きしてきたのに、僕に「頭突きしたあんたが悪い。突き飛ばした“証拠”を持って来い」と言った。いじめに証拠がいるのだろうか。僕はやりきれなくなって、一度教室に戻ることにした。そしてせめてもの抵抗として、「また来るからな!」と言ったが、担任はその六年生と並んで、「はいどうぞ」と言っただけだった。
その日の夕方、突き飛ばされた時に階段で一緒にいた先生が家に来て、「私が証言します。彼は凜太郎君を突き飛ばしました」と言ってくれた。それが何よりの救いだった。

二年生の時の担任にされたことは他にもあるが、その全てをここに挙げているときりがないので省くとする。

 この俳句は、僕が小学2年生の時に散歩中、蜘蛛が糸に絡まって動けなくなっていたのを助けた時に詠んだ句だ。

冬蜘蛛が糸に絡まる受難かな  

 しかし、僕の受難は未だに続いている。
 


小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。
小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。

小林凜 (こばやし・りん)

本名・凜太郎。2001年、5月大阪生まれ。中学3年生になった今も不登校の日々が続く。小学校入学前から句作を始め、9歳の時に朝日俳壇に「紅葉で神が染めたる天地かな」で初投句初入選。

2013年に『ランドセル俳人の五・七・五 ~いじめられ行きたし行けぬ春の雨』、翌年『冬の薔薇立ち向かうこと恐れずに』(ともに小社)を出版し、話題を集める。好きな俳人は小林一茶。母と祖母と犬と暮らす。