第20回 黄金の墓

不登校日記
(※この話にはゾンビ、幽霊といったホラー要素は一切ありませんので、心臓の弱いお方でも楽しんで頂けます。ご安心ください)
 
 今日は祖父の墓参りの日だ。祖母は足が痛い、外が寒い、暑い、ともう一年ほど行っていない。三月、九月のお彼岸もすっぽかしていた。だが、墓参りをしなかった一番の理由は、祖母が見た夢だった。
 それは、亡くなった祖父が家のソファに座っていて、窓から差し込む陽を浴びている夢だった。祖母は祖父に「私も、もうすぐそっちに行くからね」と言った後、はっとして「もしかしてもう来とるんやろか」と思ったところで目が覚めたという。
 祖母は、「死」と「生」は瞬間移動みたいなものなんやろうかと呟いていた。そして、祖父がソファに座っていたので、「おじいちゃんは墓になんかおらへん。ここでみんなを見守ってる」と言った。それを聞いていた母が、当時流行った『千の風になって』を見事なソプラノで歌い始めた。「♪私の~お墓の前で~泣かないでください~そこに私はいません~眠ってなんかいません~」 
 おじいちゃんはここにいるから、墓参りは行かなくてもいいことになった。しかし母は、墓が草ぼうぼうになっているのを気にして行こうと思っていたが、仕事の都合と祖母の体調でなかなか行けずにいたそうだ。
 早朝、僕と家族は墓地への道を車で急いだが、僕はその道が気に食わなかった。なぜなら、その道は中学校の登校路だったからだ。そこを通る度に、中学校の悪夢を思い出す。
 その話はさておき、僕らを乗せた車は田舎道を進んで行った。途中、他の墓地を見かけた。こんな山のふもとにも墓地があるのだと僕は思った。そうしているうちに、車は山の中に入り、山道を登っていった。
 そして墓地に到着した。そこは周囲を山に囲まれ、近くの土手には百合の花がたくさん咲いている。その反対側に墓地があるのだ。まず、母が祖父の墓石に水を掛け、草をむしった。僕はその間、墓石をそうじするための水を汲みに蛇口と墓を行ったり来たりした。母は墓石をぞうきんで拭き、祖母は両脇の隣の墓に、水しぶきが飛んだり荷物を置かせて貰うからと、お参りをした(その作法はテレビで見たらしい)。
 前回来た時は、まるで僕の墓参りに付き合うかのように、墓石の上にバッタが留まっていた。

ばつた跳ぶ祖父の墓石のかたわらに

 その時、僕の目に留まったのは我が家の墓石の横にある、岩を切り取った石碑だった。表面はきれいに磨かれており、そこには『愛しき者ここに眠る』という文字が刻まれていた。その字の横に彫られた葵の花の彫刻は、母が描いた絵を元に彫ったらしい。この石碑は、医療ミスにより生後四ヶ月で亡くなった、母の姉を悼んで建てられたのだ。その葵の絵を描いた母の心境はどのようなものだっただろう。
 こうして、母が線香に火を付け、綺麗になったお墓を三人が一人ずつ拝み、我が家にとって念願だった行事が終わった。
 

白百合や土手一面の鎮魂歌

 全員が車に乗り込み山道を下る時、一瞬、墓地の中からうっすらと線香の煙が夏の風にたなびいていたように見えた。
しばらく無言だったが、祖母が口を開いた。「おじいちゃんがなあ、墓を建てる時に遺骨入れるところに金箔貼りたい、僕はそこで眠るんやって言うとったわ」と言った。いかにも冗談好きな祖父らしい。母、僕、祖母は一斉に雲の上の祖父に向かって「豊臣秀吉やないかぁ!!」とツッコんだ(ピンと来ない人は『豊臣秀吉 黄金の茶室』で調べてみよう!)。       
 祖母は祖父のその冗談を本気に取っていたらしく、祖父の死後、実際に遺骨室に金箔を貼る計画を立てたが、予算上の問題で計画倒れに終わったらしい。それを聞いた運転中の母が、「そんなもん金色の色紙貼ったらええやん」とあっさり言ったので、車内爆笑となった。
「おじいちゃん、次来る時は、金色の色紙持って来るからね!」

 


小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。
小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。

小林凜 (こばやし・りん)

本名・凜太郎。2001年、5月大阪生まれ。中学3年生になった今も不登校の日々が続く。小学校入学前から句作を始め、9歳の時に朝日俳壇に「紅葉で神が染めたる天地かな」で初投句初入選。

2013年に『ランドセル俳人の五・七・五 ~いじめられ行きたし行けぬ春の雨』、翌年『冬の薔薇立ち向かうこと恐れずに』(ともに小社)を出版し、話題を集める。好きな俳人は小林一茶。母と祖母と犬と暮らす。