第22回  僕と『毎日かあさん』

不登校日記

 僕はこの夏、日めくりカレンダーに向けての対談のため、東京にある西原理恵子先生の事務所にお邪魔した。それまでは、僕にとって西原先生は自分とは絶対に縁のない雲の上の存在だと思っていた。
 そもそも、僕が最初に手に取った西原先生の作品は、『いけちゃんとぼく』だった。ストーリーは、一人の少年とお化けみたいで幽霊みたいで、でもどこか人間ぽくて愛くるしい存在、「いけちゃん」との物語だった。
いけちゃんの誕生秘話は次の通りだ。西原先生の息子さんが小学生の頃、ランドセルのフタにおばけの絵を落書きしていた。西原先生が尋ねると、そのおばけの名前が『いけちゃん』で、通学路が意地悪なゾンビだらけでも、校門が怪物の口に見えても、息子さんの背中に張り付いていた「いけちゃん」が「一緒に行こう」と励ましてくれる存在だったそうなのだ。
 当時小学校低学年だった僕は、それを読んだ後、母に「僕にもいけちゃんが欲しい」と言い、フェルトでいけちゃんを作ってもらった。母は本とそっくりのいけちゃんを三つも作り、そのいけちゃんは今でも僕の部屋に飾ってある。

 %e5%87%9c%e3%81%8f%e3%82%93%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%91%e3%81%a1%e3%82%83%e3%82%93

 そのおかげで、僕は毎日過酷ないじめが待ちかまえている小学校生活に少し堪えられたような気がした。
 西原先生の代表作『毎日かあさん』とは、母の友達を通して出会った。最初は母の友達からの借り物だったので、僕が汚すといけないと言って読ませてもらえなかったが、僕があまりにも読みたがるので、我が家でも『毎日かあさん』シリーズを揃えることになった。さらにその数年後、ツイッターでいけちゃんのぬいぐるみの写真を投稿して、返信を頂いた時は大喜びして家族中が湧いた。
 西原先生の作品は、ユーモアに溢れ、人を笑顔にするギャグマンガかと思えば、紛争の生々しさや平和への願いなども描かれていて、現代社会の問題を考えさせられるものもあった。これまでは登場人物がおどけてばかりのマンガを読んでいた僕は、先生の作品を読んで、自分の中のマンガに対する概念が変わった。

 そしてある時、夢のような話が舞い込んできた。僕が俳句を連載している教育雑誌『教職研修』の編集部から、西原先生とのコラボで「日めくりカレンダーを作りませんか」というお話を頂いたのだ。先程述べたように、西原先生は有名なマンガ家の先生で、自分にとっては縁のない雲の上の方だと思っていた。その方とのまさかのコラボなのだ。
 母と祖母は恐れ多いと言ったが、僕はぜひとも西原先生にお会いしたかったので、コラボをさせていただくことにした。半年に及ぶ作品づくりの後、ついに先生にお会いする日が来た。

 西原先生の事務所のインターホンが押された時、僕は緊張に耐えきれず、そのまま玄関に卒倒しそうになった。それを何とか耐えていると、扉が開き、アシスタントらしき女の人が出てきた。その人は、僕たちを白くて長いソファーのある部屋に案内してくださった。その途中、玄関や廊下などに、マンガバージョンの西原先生やいけちゃんの人形をいくつか見かけた。アシスタントの方は「しばらくお待ちください」と言うと、部屋を出て行った。頂いた名刺を見て、その方は『毎日かあさん』に登場しているアシスタントの「愛ちゃん」だということが分かった。
 案内された部屋には、壁一面に陳列棚があり、中にはいけちゃんやマンガの中の西原先生やその他の登場人物(「いけちゃん」や「ぴにゃりくん」等を始めとした、西原先生が作った個性的なキャラクター)のぬいぐるみやフィギュアが飾られていた。
 小さい頃から西原先生のファンだった僕は、登場人物の殆どの名前を言い当てることができた。よく見ると、陳列棚の中に飾ってあるのは、フィギュアやぬいぐるみだけではなかった。マンガの中で実際に登場した道具が飾ってあった。西原先生の息子さんが、西原先生のお母さんの大切にしていた梅の木を切り倒したシーンで描かれていた、エジプトの刀も飾られていた。
そういえば、玄関には西原先生の息子さんが反抗期の時、反抗の一部として後ろ向きに並べた猫の置物が並んでいた。
西原先生の漫画の世界は、庭にも広がっていた。興奮しながらふと窓を見ると、巨大な何かがそびえ立っている。よく見ると、これは西原先生が子供さんとカンボジアに行った時買ってきたシーンで登場した、カンボジアの神様が彫られた石柱だ。
 僕が、これまでマンガの中でしか見たことがなかった西原ワールドを目にし、部屋のあちこちに見入っていると、再び扉が開き、僕をここに案内してくれた方とはまた別の女の人が入ってきた。僕はとっさにソファに座り直した。その人は「凜くん!」と言いながら急ぎ足で僕の側まで来て「初めまして、西原です」と言った。なんと、この人こそが西原先生その人なのだ。想像していた以上に優しそうな方だったが、僕は緊張しすぎて、西原先生の笑顔のご挨拶に、何と返したのかよく覚えていない。
 西原先生は、僕が昔から『毎日かあさん』を読んでいることを喜んでくださった。そして、一枚の色紙をくださった。その色紙には、西原先生のサインと、西原先生が筆を持ち、僕が短冊を持っている絵が描かれていた。さらに、「西原人形です」と、五センチほどの無地の箱を差し出してくださった。箱を開けると、鉛筆を持った西原先生と三匹のヒヨコの人形が入っていた。僕も家で書いた川柳のサイン色紙を西原先生にお渡しした。
 そこで西原先生が、僕に見せたい物があると言って案内してくださったのは、部屋に取り付けられていた鉄の手すりが付いた階段だった。西原先生が指さしたのは、その手すりの先に付いていた妙な生き物の像だった。目がカタツムリのように飛び出し、顔は怪獣のようで、両手がハサミのようになっていた。この生き物も、一度マンガの中に登場していた。息子さんがドリルをするのが嫌で回答欄に描いた落書きがかわいらしすぎて、特注して手すりにつけてもらったそうだ。

 その後、僕と西原先生は『教職研修』の編集者の人の質問に答える事になった。最初は質問に一つ一つ応えていたが、学校の思い出を話している内に徐々に火がつき始め、気が付けば先生も僕も感情的に語り合っていた。ものすごい有名人のはずなのに、僕はいつのまにかまるで同窓会で会った同級生と喋っているかのような気分になっていた。おそらく、西原先生は僕に合わせてくださっていたのだろうが、先生の前では、心の中に積もっていたことを正直に打ち明けることができた。こんな感覚は初めてだった。気が付けば対談であることやカメラマンがカメラを向けていることも忘れて話していた。
しかし、せっかく緊張せず話す事ができるようになったところで、西原先生は次の予定が入っておられるらしく、もう対談は終わりになった。
 しかし、僕が、西原先生が飼っておられるゴールデンレトリバーの“ぽん美さん”も登場人物の一人として好きだと言うと、西原先生はその場から出て行かれ、なんと、ぽん美さんを連れてきてくださったのだ。僕が好きだと言っただけで、もう次のお仕事の方が玄関で待っていたのにもかかわらず、だ。僕は、マンガの中でしか見れなかったぽん美さんをこの手で撫でることができた。

 こうして、僕は西原先生に御礼を言い、感激で胸がいっぱいのまま事務所を後にした。
 大阪に帰ってから、僕は西原先生にいただいた色紙を額に入れて居間に飾った。時々、その色紙の前で頬をつねってみたり、次の日起きたらサイン色紙や西原人形は跡形も無く、額にはいつもの季節の色紙が入っているのではないか、と今でも心配になる。今のところ、色紙も西原人形も消えてはいない。

☆小林凜×西原理恵子『学校川柳』 教育開発研究所より10月31日発売!
 http://www.kyouiku-kaihatu.co.jp/class/cat/desc.html?bookid=000472


小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。
小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。

小林凜 (こばやし・りん)

本名・凜太郎。2001年、5月大阪生まれ。中学3年生になった今も不登校の日々が続く。小学校入学前から句作を始め、9歳の時に朝日俳壇に「紅葉で神が染めたる天地かな」で初投句初入選。

2013年に『ランドセル俳人の五・七・五 ~いじめられ行きたし行けぬ春の雨』、翌年『冬の薔薇立ち向かうこと恐れずに』(ともに小社)を出版し、話題を集める。好きな俳人は小林一茶。母と祖母と犬と暮らす。