第23回 砂の上の足跡

不登校日記

居間にある僕のパソコンの縁に、いつの間にかこんな張り紙が貼られていた。
 
「砂の上の足跡」(Footprints in the Sand)

  ある男が夢を見ていた。
 夢の中で男は神と一緒に歩いていた。
 神はいつも一緒にいると言ったのに、
  所々足跡は一人分だけだった。
 それも一番神を必要とした辛い時に限って。
 男は神に問う。
 「なぜ貴方は一番必要とした時に、私を見捨てたのか」
 神は答えた。
 「貴方が苦しみと試練の最中にある時、私は貴方を背負っていたのだ」

 
「こんなもの、僕には縁がないや」と思い、その貼り紙を引き出しに放り込んだ。
 当時の僕は学校運が悪く、転校をしてもその学校で相変わらず、生徒のいじめや教師の嫌がらせに遭った。転入したばかりの中学一年生の時、廊下で教頭とすれ違った時、「さようなら」と挨拶をすると、いきなり鬼の形相で振り返り、僕の腕をわしづかみにして、「今なんて言った!!」と怒鳴った。僕は「さようならと言っただけですけど」と言うと、教頭は「これから気いつけい!」と言って僕を突き放すようにして解放した。僕と一緒に歩いていた女の教師に「なんで怒ったのでしょう?」と聞くと、「アンタの言い方が悪かったんちゃう?」と言った。
 母が教頭に、怒ったわけを尋ねると「まだ終わりじゃないのに、家に帰ろうとしているのかと思って止めました」と言い訳をした。その時の僕は、学校の上履きスリッパを履き、鞄も帽子も持っていない。おまけに一文無しで、バスにも乗れず、車で三十分もかかる道のりを歩いて帰るのか。明らかに教頭の勘違いだ。そうでなければ何かの嫌がらせか。
それならば腕をつかむという暴力行為より先に、帰ろうとしている理由を聞く事が教師のすることではないのか。いずれにせよ、小学校ではこのような教師の仕打ちは受けたことがなかったので驚いた。
 その後、二年生の一学期(第一回で書いたが)は別室登校にしたが、新しく来た教師に教室に戻るよう強要された。ある時は、廊下を歩いていて方向転換をする時、一瞬女子トイレの方を向いたからと言って、側にいた男子二人が「凜がトイレを覗いてる! 変態! 変態!」と叫び、皆に告げに走った。僕は馬鹿馬鹿しくて嫌になり、皆の集まるところへ行かなかった。その訳を訴えたにもかかわらず、僕を連れ戻しに来た教師は僕を後ろから羽交い締めにして歩かせたのだ。この実力行使はやがて、悪意を持った生徒達に感染するだろう。

 僕は徐々に学校に対し希望が持てなくなった。そして六月には不登校を選んだ。
 夏休みに入り、自宅に二度ほど担任が話しに来たが、勉強の話をするとか不登校の僕の心境を聞くという訳でもなく、僕がその話を切り出すと「お母さんと相談の上」と言うだけで、あっけなく鎮火させられた。さらに、母に担任からそのことに関しての連絡は無かった。顔を見に来るだけで何の対策もないのなら、「本人が嫌な事を思い出すので来なくてもいいです。」と母が担任に言った。二年生から来た新しい校長は、僕に一度も会わず、僕から事情を聞こうともしなかった。さらに、二学期になって別の用事で学校を訪れた母に、「教師の言い分を信じます」「話し合っても溝は埋まらんでしょう」と言った。
 その時の母の悔しさと憤りは計り知れないものだっただろう。その時から僕の学校に対する信頼は完全に崩れ落ちた。
 
 こうして不登校のまま三年生の新学期を迎えた時、教頭が替わることが分かった。どうせ三年生になっても学校には行けないだろうし、罵声を浴びせて生徒の腕をわしづかみにした教頭がいなくなったぐらいどうでもいいや、と特に関心もなかった。
 それから数日後、なんと、新しい教頭先生が我が家を訪ねて来た。校長と前の教頭は、僕が不登校になってからの十ヶ月間、電話どころか家に来たことも一度もなかったというのに。新しい教頭先生は、部活の指導で日焼けしたのか、それとは対照的な白い歯を見せて笑顔で家に入って来た。とても陽気な話し方で、緊張している僕を笑わせ、安心させた。中学校の教師と対峙した時に安心を覚えたのは久しぶりだった。
 そして「僕の信念です」と次のように言われた。
「教育は魂である。これは初めて教師になった時の指導教官に教えていただいた言葉です。今でも私の信条となっています」
 僕はいたく感動した。新しい教頭先生にとっては「教育」とは「魂」なのだ。
ならば、他の教師達にとって「教育」とは、「正義」とは、何なのだろう?

 その後、この中学校での2年間からは考えられないほど、新しい教頭先生の行動は速かった。僕が学校で信頼かつ尊敬していたS先生とも、会えるようにしてくださったのだ。
 僕ははっと思い出し、引き出しから、パソコンに貼られていたあの紙を取り出した。
 あまりの運の悪さに、今まで神を全面否定していた僕だったが、もしかしたら新しい教頭先生との巡り合わせが来るまで、僕はずっと神に背負われていたのかもしれない。


小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。
小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。

小林凜 (こばやし・りん)

本名・凜太郎。2001年、5月大阪生まれ。中学3年生になった今も不登校の日々が続く。小学校入学前から句作を始め、9歳の時に朝日俳壇に「紅葉で神が染めたる天地かな」で初投句初入選。

2013年に『ランドセル俳人の五・七・五 ~いじめられ行きたし行けぬ春の雨』、翌年『冬の薔薇立ち向かうこと恐れずに』(ともに小社)を出版し、話題を集める。好きな俳人は小林一茶。母と祖母と犬と暮らす。