第24回  誕生日タイムバック作戦

不登校日記

  時計が午後十一時五十分を指している。あと十分経てば午前0時になる。そうすると僕の誕生日だ。だけど、母も僕も全然おめでたくない顔をしていた。なぜ誕生日十分前なのにこんなにギスギスしているのか、それは今から数十分前にさかのぼる。
 僕はその時風呂から上がったところだった。だが、どこを見ても着替えのパジャマがない。軽く周囲を見渡しても無かったため、仕方なく僕はタンスから新しいパジャマを出そうとした。すると母に止められた。母はもっとよく探せと言った。ぼくはパンツとシャツだけの格好でもう一度探し回り、一階まで降りて洗濯籠までひっくりかえしたが見つからなかった。
 そこまでしてやっと母はタンスから新しいパジャマを取り出した。僕はぼそっと「最初からこうすればよかったんじゃないか」と呟いた。今思えばこの一言が余計だったのかもしれない。結局、後にパジャマはしわくちゃの干しぶどうのようになって布団の下から発見された。母は僕の片づけが悪い上、パジャマをろくに探さなかったと気が立っていて、先の僕の一言で完全噴火した。そこからは母と子の怒鳴り合いが続いた。
 その後、母は不機嫌なまま風呂に入ったが、風呂から上がると、「髪の毛ちゃんと乾かした?」とか「誕生日プレゼント、何がいいか決めた?」等と色々と話しかけてきた。
 だが僕は怒鳴り合いの余熱が冷めておらず、無視した。すると母は「そうか!」と言ってどこかへ行ってしまった。
 そして母がぼそっと呟いた「十四歳最後の会話をあんなんで終わらせたくなかったのに」という言葉から、十四歳最後の会話が最悪な事で終わらないようにするために話しかけてくれていたことが分かった。僕はそれを知って深く後悔した。

 そうしているうちに十分経過。僕はなんとか話しかけようと思ったが、躊躇しているうちに0時になってしまった。焦っているうちに0時二十五分。電灯が消え、母はもう寝てしまった。仕方なく僕も寝ようと思ったが、やはりこのまま終われない。
 僕は母を起こさないように、そっと自分の部屋から出て、母の部屋の壁に掛けてある大きな振り子時計を外した。そう、僕は振り子時計のねじをいじって時計を十一時五十五分にしようと考えたのだ。だが、振り子時計の裏側を見ると、そこにはねじがなかった。仕方なく僕は振り子時計を棚の上に伏せて、そこにあった母のスマホの時計機能を起動させ、時計の設定を変えようかと考えた。しかしスマホはロックされていたため、諦めた。そして思いついた最終手段が、iPadの時計機能を操作することだった。僕はiPadの時計を十一時五十五分にすると、母の所にそれを持っていき、揺り起こした。
 起こされてさらに不機嫌になった母に、十一時五十五分を指した時計を見せた。母はそれを見てしばらく黙っていたが、僕のタイムバック作戦に気づいた。そして「僕が生まれた時のこと」を語り出した。僕が予定より早く生まれたこと、未熟児だったため、病院通いが続いたこと、祖父と祖母のお陰で僕を家に残して仕事ができたこと、その未熟児が明日になれば十五歳になると話し、「ハッピーバースデー」と言った。僕は涙が出そうになったが、母に気づかれないうちに自室に戻った。
 翌日、母は僕に誕生日プレゼントとして、むちゃくちゃ高いゲームソフトを買わされた。昨夜の感動がぶちこわしである。
 こうして、僕は危うく永久に失われるところだった大切な十四歳最後の時間を取り戻すことができたのだ。だが、この作戦が通用するのは家庭内のみ。その他で失った時間は決して巻き戻すことはできない。


小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。
小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。

小林凜 (こばやし・りん)

本名・凜太郎。2001年、5月大阪生まれ。中学3年生になった今も不登校の日々が続く。小学校入学前から句作を始め、9歳の時に朝日俳壇に「紅葉で神が染めたる天地かな」で初投句初入選。

2013年に『ランドセル俳人の五・七・五 ~いじめられ行きたし行けぬ春の雨』、翌年『冬の薔薇立ち向かうこと恐れずに』(ともに小社)を出版し、話題を集める。好きな俳人は小林一茶。母と祖母と犬と暮らす。