第25回  五十の母を背負って

不登校日記

 昨年のある土曜日の朝の事である。聖路加国際病院の日野原重明先生の、毎週土曜日に朝日新聞に載せておられるコーナー「103歳の証あるがまま行く」の記事を読んだ。日野原先生が体験された出来事等も書かれていて、今週の題名は「100年ぶりにおんぶされた経緯」だった。
 先生が理事会の帰りに階段を登ろうとすると、運転手の方が「大動脈弁に閉鎖不全がある先生には負担になるから」と言って先生を背負い階段を登り始めた。先生は百年前、お母さんにおんぶしてもらったのが最後のおんぶされた記憶だったそうで、その時先生はついこの間、馬にまたがっていた自分が今度はおんぶされる身になったかと思うと、恐縮されたそうだ。

 記事は家族全員で読み、読んだ後、母が「私を背負ってみて」と言い出した。
 僕はきっと自分は潰れてしまうだろうと思いながらも母を背負った。すると、多少よろめくものの十分背負うことができたのだ。僕はかつて背負われていた母の背中を思い出した。母は、「ああ、こんな日が来るなんて」と言って声を詰まらせた。
  その後、祖母も背負うことになったが、祖母には以前から「ダイエットしたら?」と言っているのに未だに始まらない。今度こそ潰れてしまうだろうと、半ば嫌々背負った。しかし、割としっかり背負うことができた。それどころか母を背負った時より軽く感じたのだ。当然ながら、祖母の体重は母の体重よりも重いはずである。何故こんな事になるのかと祖母に尋ねると、「それは、私はあんたの背中に自分を委ねたからそう感じたわけであり、お母さんはあんたがひっくり返らないように気遣っていたからそう感じたんだよ」と教えてくれた。なるほど祖母は僕に全身を預けていたから軽く感じられ、母は身を固くしていたから重く感じられたのだ。

 かつて背負われていた者が今、自分を背負ってくれた者を背負っている。母は小さく生まれた僕の成長を涙ぐみながら喜んでいた。特に祖母は「凜におんぶされるなんて感激。生きてて良かった」と言って人一倍喜んでいた。
 先生の記事によって母と祖母を背負うという初体験をし、人生は巡るということを実感した。そして一句詠んだ。

時巡りやがて背負う身蝉時雨


小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。
小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。

小林凜 (こばやし・りん)

本名・凜太郎。2001年、5月大阪生まれ。中学3年生になった今も不登校の日々が続く。小学校入学前から句作を始め、9歳の時に朝日俳壇に「紅葉で神が染めたる天地かな」で初投句初入選。

2013年に『ランドセル俳人の五・七・五 ~いじめられ行きたし行けぬ春の雨』、翌年『冬の薔薇立ち向かうこと恐れずに』(ともに小社)を出版し、話題を集める。好きな俳人は小林一茶。母と祖母と犬と暮らす。