第26回  ゴリラ踊り

不登校日記

 僕と祖母にはある一風変わった愉快な習わしがある。朝の食事中に様々なゲームのBGMを流し始め、祖母がそれに合わせて踊り出すのだ。僕はそれをゴリラ踊りと呼んでいる。
 だが、ゴリラ踊りの発端はBGMではなかったのだ。始まりは僕が俳句で秀作を詠んだ時、母と祖母が手を取り合って踊る。僕がひっくり返って爆笑していると、更に母が「ご一緒に」と言って僕を誘い、小学生の僕は一緒に踊った。二人は「白鳥の湖」を口ずさみながら踊る。もう若くない二人が手を交差させ、カニ歩きをしながら時々膝をV字に曲げる様子はテレビで見た舞台の白鳥の湖とはほど遠い。これでは「老いた白鳥の湖」だ。
 徐々にそれがバージョンアップ(?)して、今は秀作を詠んだ時だけでなく、僕がBGMを流し始めた時にもゴリラ踊りが踊られるようになったのだ。
 祖母は音楽さえ鳴れば膝の軟骨がすり減って脚が痛くてもヒィヒィ言いながら踊るか、イスに座ったまま手をくねらせて曲に合わせて踊るのだ。元気な時にはそのステップで音楽自体が全く聞こえなくなることもある。
 そして驚きなのがそのノリである。馴染みの曲はもちろん、初めて聞く曲さえも一瞬でリズムを掴み、それに合った踊りを踊るのだ。音の緩さ激しさ遅さ早さまで、恐ろしいほどにマッチしている。 

 先程述べたように、祖母は足が痛むことがあるので、湿布を貼っている。そして、それが元でこんな出来事も起こるのだ。それは僕が庭で瞑想(?)していた時、瞑想を終えて立ち上がると、庭の小石の上になにやら光るものが見える。もしかしたら美しい小石かもしれないと思い、拾いに行くと、徐々にその全貌が見えてきた。小石にしてはかなり薄っぺらい。では一体なんなのだろうか?
 見てみると、それは薄いフィルムだった。太陽光を反射して輝石のように見えたのだ。よく見るとなにやら字が書いてある。「ここからはがす」という文字と、①という表示がプリントされている。これは一体何のフィルムなのだろうか。どこかで見たような気もするが、きれいな庭石ではなくて不服だったので、庭石を軽く蹴っ飛ばすと、再びフィルムが出てきた。
今度は文字はなく、②と書かれており、先程のものよりも大きい。しばらく探すと、ああ、やはりあった。③と書かれたフィルムだ。②のフィルムの形と一緒だ。だが、二つを合わせても形は出来ない。ためしに、②と③の間に、①のフィルムを挟んで合わせてみると、角の丸い長方形が出来上がった。やはりこの形はどこかで見た覚えがある。そうだ! これは祖母の湿布の保護フィルムだ。不燃ゴミの日に風に吹かれてゴミ袋から飛び出したのだ。それにしてもよくこんなに飛び出したものだ。

 それ以来、まれに家の中で湿布の保護フィルムを見つけると、祖母に「ここからはがすがあったよ」と言いながら渡した。祖母は爆笑しながらそれを受け取った。
 この「ここからはがす」のエピソードはあまりにも面白かったので、今回僕はそれをゴリラ踊りと共にここに記した。それを横からのぞき込んでいた祖母は、「秀作!!」と叫んで、またゴリラ踊りを踊り出した。今では家族も増えて、犬のすみれもそれにつられて跳ねるのだ。 


小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。
小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。

小林凜 (こばやし・りん)

本名・凜太郎。2001年、5月大阪生まれ。中学3年生になった今も不登校の日々が続く。小学校入学前から句作を始め、9歳の時に朝日俳壇に「紅葉で神が染めたる天地かな」で初投句初入選。

2013年に『ランドセル俳人の五・七・五 ~いじめられ行きたし行けぬ春の雨』、翌年『冬の薔薇立ち向かうこと恐れずに』(ともに小社)を出版し、話題を集める。好きな俳人は小林一茶。母と祖母と犬と暮らす。