第28回 銀杏のなる頃に

不登校日記
 銀杏の葉が金色に染まる季節だ。あの人とも、そんな金色の銀杏の木の下で出会った。
 昨年の秋、僕と祖母は犬の散歩で町内を歩いていたが、その日はいつもと違う道を通って行くことにした。しばらく歩いていると、ある家の前で、丸いものがコロコロ転がっているのが見えた。何だろうと思いつつ、しゃがんでみて見ると、銀杏だった。
 どこから落ちてきたのだろうと上を見上げてみると、巨大な銀杏の木が目に入った。葉も、実っている銀杏も鮮やかな金色に染まっている。
 大きな木だと思っていると、その家の扉が開き、おばさんが現れた。おばさんは自分の家の前でしゃがみ込んでいる僕を見ても嫌そうな顔一つせず、にっこりと笑うと「凜君やね? 本読んだよ」と言った。かけておられる丸渕眼鏡の奥から温かい眼差しを感じた。どうやら僕の本の第一巻を読み、僕のことを知ってくださっているらしい。
 そして、僕が銀杏に興味があってしゃがみこんでいることに気が付くと、「あげようか?」と言った後、「本当は私の木と違うんやけどね」と言って、「あはは」と笑った。よく見ると銀杏の木はおばさんの家からではなく、その隣の家の土地から生えている。どうやらここに散らばっている銀杏は、枝のはみ出した部分から落ちてきたようだ。僕はビニール袋に入った銀杏を手に提げて帰った。
 その日の夜、おばさんからもらった銀杏を茶碗蒸しに入れたが、銀杏が苦手な僕でもなぜか極上の食材のように感じられた。おそらく、僕にそう感じさせたのは銀杏の質ではなく、それを袋に入れてくれた方の心だろう。
 それからしばらくして、急に家のインターホンが鳴った。宅急便ではなさそうだ。誰だろうと思って表に出ると、なんと、そこに立っていた人物はあの銀杏のおばさんだった。おばさんの手には、前回よりも多い銀杏が入った袋があった。その時、僕は焦りながら家から出てきたので、上着を着てきたはいいが、ボタンを留めるのを忘れていた。それを見たおばさんは「これやと寒いやろ」と言ってわざわざ手を伸ばし、上着のボタンを一つ一つ留めてくれた。僕はこれまで学校の優しい先生以外に、しかも知り合って僅かな人に、ここまでの親切をされたのは初めてだった。僕は少ししか会ったことのない赤の他人の子どものボタンを一つ一つ留めるおばさんの手が、直接肌に触れていないはずなのに、とても温かく感じた。僕は後日、御礼に俳句を詠んで持って行った。
 

銀杏の降る一粒に笑顔かな

 それからしばらくして、クリスマスが来た。僕がクリスマスプレゼントのゲームで遊んでいると、インターホンが鳴った。出てみると、あのおばさんだった。手に何か持っているが、銀杏ではなく一枚の茶封筒だった。おばさんは「クリスマスやから」と言って、その茶封筒を差し出した。そこには図書カードが入っていた。こんなこと今まで誰にもされたことはなく戸惑ったが、おばさんの心として頂いた。さらに、「凜君の分も作ったんやけど」と渡されたのは、タッパーに入ったちらし寿司と、アルミホイルに包まれたものだった。おばさんは「タッパーは返さなくていいから」と言って帰って行かれた。家に入ってアルミホイルを開けてみると、それは一本のローストチキンだった。肉好きの僕は大喜びで一人で食べた。タッパーの方はきれいに洗ってとっておいた。
 それから正月にも、おばさんは「お年玉」と言ってまた図書カードをくださった。さらに、前に読んでもらった僕の本の第二巻の感想まで述べてくれ、「この本は涙なしには読めない。凜君は、今のままで胸を張って、これからも俳句の世界で世の中に訴えていってね。応援してるから」と目に涙を浮かべながら一通の手紙を僕にくれた。そこには本の感想文と共におばさんの過去の話がつづられていた。それを読んで驚いた。なんと、おばさんは少し前まで教師だったのだ。その手紙にはこう書かれていた。
 「私も幼児教育に三十五年間携わってきて、この先生は本当に子どもが好きなのかと思うような、“でもしか”先生といっぱい会ってきました。定年間近に転勤した園で、ひどい吃音に悩む年長児に対して、卒園式の練習をしている時、名前が呼ばれましたが「ハイ」がなかなか言えない様子を見て、はやすような笑い声をする仲間、教師に思わず大きな声を出してしまいました。一生懸命「ハイ」と言おうとしている○○君を何故笑うのか、そして担任にも今まで、こんな状態を黙って見過ごしてきたのかと卒園児と先生を叱りました。卒園式が終わり、彼とお母さんが、あの時皆の前で「ゆっくりでいいよ。○○君が言える時に言っていいよ」と言ってくれた事がこの子の変わるきっかけとなったと言ってくれました」とあった。
 世の中におばさんのような教師がもっといたらどんなに良かっただろう。いじめや教師の不条理によって自殺に追い込まれた生徒も救われていただろう。祖母は「同じ町内なのにもっと早く知り合いになりたかった」と言った。僕の町は新興住宅地で、同じ町でも番地が離れていると会うこともなく暮らしている。

 それからしばらくして、僕は東京大学の「ROCKETプロジェクト」の催しで茶道を体験しに京都に行った。自由時間に、おばさんが好きそうなお菓子をおみやげとして買った。
 帰宅後、僕は祖母と犬のすみれと、おみやげを持っておばさんの家に行った。インターホンを押すと、なぜかおばさんは出てこず、おばさんの夫らしきおじさんが出てきた。祖母が「あの、奥様は?」と聞くと、おじさんは急に表情を曇らせ、低い声で「家内は死にました」と言われた。あまりのショックに祖母は「エエッ!」と叫びそれっきり何も言えなかった。すみれは普段は脳天気なのだが、今回は空気を読み取り、引っ張ったり走り回ったりしなかった。僕はと言うと、何も言う気力がなくなり、自分でもどこを見ているか分からなかった。ただ、今のこの状況が夢であると思った。夢であって欲しかった。頬をつねっても、舌を噛んでも、頭をこづいても、痛みを感じる。僕はもうこの現実を受け容れなくてはならない。
 おじさんの話によると、おばさんが亡くなったのはつい二週間ほど前の突然のことだったそうだ。「棺には凜くんの本二冊とも入れてやりました」と話された。僕達はおじさんに「仏壇にお供えください」とお土産を渡して、無言のままいつも散歩に行く公園へと向かった。道中も、公園でも二人とも一言も喋らず、すみれもたらりと尻尾を垂れて後についてきた。
 家に帰ってから、祖母は「お訪ねするのが遅かった。私より若いのになんで逝った!」と叫び、布団を敷いて寝込んでしまった。夜になって、僕は祖母と話し合い、母が帰ってきても、母のショックを考え、夕食後に話をしようということになった。
 
 それからというもの、僕たちは銀杏の家の前を通ることができず、再び通れるようになるまで半年の月日がかかった。
 今年も僕達は金色に染まった銀杏の木の前に立つだろう。四ヶ月ほどの短い出会いだったが、おばさんは僕に「真心と正義」という最高の贈り物を遺してくださった。このおばさんこそ、まさしく新しい教頭先生が言われた「教育は魂である」教師だった。
 夕方、いつもの散歩でおばさんの家の前を通る時、うっすら明かりの灯った家の中から、今にも扉が開いてビニール袋を持ったおばさんが出てきそうな気がする。

思い出は銀杏散るともそのままに


小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。
小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。

小林凜 (こばやし・りん)

本名・凜太郎。2001年、5月大阪生まれ。中学3年生になった今も不登校の日々が続く。小学校入学前から句作を始め、9歳の時に朝日俳壇に「紅葉で神が染めたる天地かな」で初投句初入選。

2013年に『ランドセル俳人の五・七・五 ~いじめられ行きたし行けぬ春の雨』、翌年『冬の薔薇立ち向かうこと恐れずに』(ともに小社)を出版し、話題を集める。好きな俳人は小林一茶。母と祖母と犬と暮らす。