第30回 犬のすみれが教えてくれたこと

不登校日記
 僕は、不登校になってから、中学教師というものを一切信じられなくなっていた。
 唯一信頼できたのは、中学一年生の時、週二回学校に来られるS先生だった。学校からはそれまでは母の仕事中に事務的な電話がたまに掛かってくるだけだった。
ところが三年生の新学期、新しい教頭先生に替わってから、このS先生に会えるようになった。音信不通に感じる状態だった学校との空気に、穏やかな陽の光が差すようだった。学校の者は全て敵だと考えていた僕も家族も、なんだか和やかな気分になってきた。

 夏休みのある日、S先生が、二年生の時に担任だったM先生と家に来て下さった。ゆっくりとソファーに座ってS先生と面と向かって話す内に、僕は今まで積もり積もっていた、学校で教師にされたこと、生徒にされたいじめなどがマグマのように吹き出してしまった。
 この日も教師たちからバカにされた話になってしまった。下校時、職員室に預けていた携帯を取りに行くと、窓から投げる真似をされた。母が抗議すると、その教師は「喜ぶと思った」と言った。僕も馬鹿にされたものだ。そのときの屈辱を悔し紛れに話した。
 誰が聞いても不条理な指導や、生徒の暴言・嫌がらせを訴えているうちに、僕は「これが教師のすることですか!」と、S先生に怒鳴ってしまった。怒鳴る相手は違ったけれど、僕は少しばかり気が済んだ。うなずきながら、「今までそんな思いを胸に秘めていたんやね」と言うS先生の目に涙が浮かんでいるように見えた。
一緒に来たM先生は、激昂している僕の側の床で、じゃれつく犬のすみれの相手をしながら沈黙していた。僕はM先生も他の教師と同じく、気を許してはいなかった。
 ところが、である。初めての人には牙を剥き、なつくまでに時間がかかる犬のすみれが、M先生の顔を見るなり最初から、目を細め、耳をねかせて親愛の“雄叫び”を上げて“嬉しょん”(嬉しくてオシッコを漏らす)までする始末。僕は、飼い主の気持ちも知らないで、M先生にじゃれつくすみれを快く思っていなかった。「僕が受けた屈辱を知らんのか!このバカ犬め!」と怒鳴りたかったが必死に堪えた。
 ここで、大分前に新聞記事にあった犬の気持ちについて書かれた特集を思い出した。「飼い主に冷たい人キライ!」と題して「犬の感情解明・京大」とある。犬は人の行動に敏感、飼い主に協力しない人を嫌いやすい――。この研究から考えると、すみれはM先生に優しさや、愛を感じたのではなかろうか。
 そう言えば三年生の一学期が始まって、三年の担任とM先生が家に来たことがあった。僕は腹立たしさを抑えて笑顔で迎えた。
 三年生の担任と僕が、M先生と祖母が、机を挟んで話をしている時、祖母が突然咳込み始めた。最近は唾液でも喉に詰まり、むせるのだ。その時、M先生がさっと祖母の背中に手を回し、さすり始めた。僕は目を疑った。とっさとは言え、憎たらしいと思っている相手にできる行動ではない。僕はこの時、M先生の中の優しさを見た思いだった。僕の心には、祖母の背をなでているM先生の姿が残った。
 そしてこの日もM先生は、横ですみれに甘えられ、飛びつかれ、なめ回されながら、僕の訴えを黙って聞いていた。その姿に僕は思わず立ち上がって、M先生に向かってこう言った。「僕は今、犬のすみれに教えられました、M先生は優しい人なんやって」そう言った後、僕の心がスッと軽くなった気がした。
「すみれが教えてくれたこと」って何だろう!
 
 無論、犬の感情解明結果は正確ではない。実験では、犬は飼い主に求められた人の方を多く選んだが、求められなかった人の方も少ない数だが選んだそうだ。すみれは今では僕の尊敬するS先生に、腹を見せて服従しているが、最初に会った時は牙を剥いたのである。それはS先生が、噛まれないかと用心されたからだろう。
 M先生とは初対面の時から甘えたすみれは、今でも先生が来られると、玄関で待ち構え、「キャイーン」と甘えたように叫ぶ。それを聞きながらM先生は笑顔で玄関に入って来る。その光景に僕も自然と笑顔になり、M先生を出迎える。
 すみれがもたらしてくれた幸せである。

 不登校乗り越えひらくすみれ草


小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。
小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。

小林凜 (こばやし・りん)

本名・凜太郎。2001年、5月大阪生まれ。中学3年生になった今も不登校の日々が続く。小学校入学前から句作を始め、9歳の時に朝日俳壇に「紅葉で神が染めたる天地かな」で初投句初入選。

2013年に『ランドセル俳人の五・七・五 ~いじめられ行きたし行けぬ春の雨』、翌年『冬の薔薇立ち向かうこと恐れずに』(ともに小社)を出版し、話題を集める。好きな俳人は小林一茶。母と祖母と犬と暮らす。