第8回 貼り紙の家

不登校日記
 僕は学校に行かず、家で勉強している。そして勉強部屋となるのは、ダイニングルームの食卓だ(この家ではダイニングとリビングがひとつになっている)。そこには毎日母からの指令(その日の課題)が書かれたノートがあり、それをこなしていくのだが、母が帰って来るまでにやり終えないと、イカズチが落ちるのだ。
イカズチが続き、嫌になってきた僕は、リビングルームの入り口にこんな貼り紙を貼り付けた。
「野山獄」〈のやまごく〉……野山獄とは、吉田松陰が投獄された獄舎の名前だ。だが、その貼り紙は発見した祖母に「コラァー」と言われ、大急ぎで剥がした。その代わり、「松下村塾」(吉田松陰が開いた塾)と書いた貼り紙に貼り替えた。当時我が家は吉田松陰のドラマを毎週見ていたのだ。
 そして、この貼り紙システムを気に入った祖母は、家のあらゆる所に「御触書」(一般民衆に向けて公布された江戸時代の公文書)を貼り始めた。
トイレの電灯スイッチには、「自動で点灯するのでタッチするな」。キッチンの皿洗い機には「夜十時から朝八時まで電気代が安い」などといったドケチ精神の結晶ともいえる貼り紙が貼られた。これが、新政府「ゴリラ政権」の始まりである(ゴリラは祖母のニックネーム)。そして、僕のある癖にまで貼り紙「御触書」が侵食した。
 僕はトイレで便秘になると、踏ん張る間、持っているトイレットペーパーをついチギチギに破いてしまう癖があったのだ。たまに後始末を忘れてトイレを出てしまうことがある。トイレそうじの時、その雪景色に悩まされていた祖母は、「チギチギ遊び禁止法案」を提案し、その日の内に強行可決した。

チギチギ遊び禁止

 このままでは僕の便秘時の暇つぶしが消えてしまう。これだけは何としても食い止めなければならない。
 そして僕は各地から同じ意志を持つ同胞(僕が作った紙人形)を求め、彼らと共に「チギチギ遊び禁止法案」に反対して、「チリ紙―ルズ」を結成した。そして禁止法案の貼り紙の横にデモ隊(貼り紙)を派遣した。彼らは「ゴリラ政権反対」「アイアムノットゴリラ」「強行可決反対」などのプラカードを掲げ、訴えている。

チギチギの夜明けを
 こうして貼り紙に対し、貼り紙で抵抗する事件、「地安門事件」(これを書いている六月五日の新聞に「天安門事件」が起こった日、との記事を見て)の火ぶたが切って落とされたのだ。
 ちなみに、時には母まで貼り紙合戦に参戦する。ある朝、食卓の僕の席にマンガのキャラクターのイラストと、「勉強せーよ!」と書かれた紙が貼られていたのだ。

勉強せーよ
きっとこれらは全て祖母と母の、僕の不登校という暗いイメージを明るくしようという気遣いである。

 


小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。
小林凜 (左)。右はひとつ年下の濱口瑛士くん (著作『黒板に描けなかった夢』)。同じく不登校に悩みながら、芸術活動を続ける仲間として交流している。

小林凜 (こばやし・りん)

本名・凜太郎。2001年、5月大阪生まれ。中学3年生になった今も不登校の日々が続く。小学校入学前から句作を始め、9歳の時に朝日俳壇に「紅葉で神が染めたる天地かな」で初投句初入選。

2013年に『ランドセル俳人の五・七・五 ~いじめられ行きたし行けぬ春の雨』、翌年『冬の薔薇立ち向かうこと恐れずに』(ともに小社)を出版し、話題を集める。好きな俳人は小林一茶。母と祖母と犬と暮らす。