悔しくて第二夜 『自殺』 と 『たまもの』―――強く生きなきゃいけないなんて、誰が決めたの?

他社本のタイトルが悔しくて今夜も眠れない、不惑な編集長のブログ

男の人はいくつになっても頭の中でいっつも、エロいことばかり考えてるというけれど、本当なんだろうか。でも思えば私も20代の頃は、恋愛とセックスのことばっかり考えていた。どうやって会社サボって、こっそり待ち合わせしようかとか、今日はデートのあとお泊まりかな、やべえ今日わたしどんな下着つけたっけ、とか。
                
30代の頃は何考えていただろう。直近過ぎて、モテキも過ぎてて何も思い出せない。いつ結婚するんだろう、とか。いつ旅行に行こうかとか、いつ子ども生むのかなとか。いやその前に、いつ仕事で一人前になれるのかな? とかだった、たぶん。

そんな30代の夢と不安は、もろもろが諦念に変わって、不惑となった今。頭の中でいっつも本の企画のこととか、今度の新刊どう売ろうかなとか、次の健康診断までにガンマ-GTP下げないと、社内のオッサン達にまた負けちゃうとか、そんなことしか考えられない40代になってしまった。色気なさすぎて泣けてくる。

自分にすっかり色気はなくなったけれど、本屋さんに行けば、他社の本のタイトルをちら見して、ひとり色めきだってしまう。やべえこのタイトル、いいじゃん。売れそうだなって。愛とか恋とかで眠れなくなる日は遠い過去の記憶だが、他社本のタイトルが悔しくて今夜も眠れない。そんな不惑な編集長の、あてどないジェラシー満載のしょうもない読書ブログ。

悔しくて第二夜『自殺』 と 『たまもの』―――強く生きなきゃいけないなんて、誰が決めたの?

隔週くらいでこのブログを書くつもりでいたのに気が付いたら1回目からもう9か月も経っていて、己のあまりの体たらくにびっくりしているうちに2014年の夏が来た。毎年毎年、ノースリーブの季節となり、鏡に映る自分の二の腕のふてぶてしさにびっくりしているうちに、気づけば40代になっていたのとおんなじ感覚で。毎日精一杯、生きているつもりなんだけど、やり残したり、言いそびれたりの連続だ。不甲斐ないな、と毎晩へこむ。酒を呑む。
そんなふうに酩酊した夜はビートたけしさんの昔の曲、『夜につまずき』という歌詞が、帰りの電車でリフレインする。
 歌詞はこれ↓(作詞:ビートたけし&作曲:泉谷しげる)
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=55287
 「いつもの部屋の いつもの女 いつもの朝に 外を見て
  俺は奴らと 違うのと 同じ電車で ゆられてく
  恋のツマミのやさしさは 鏡の自分で さめていく
  はげしく生き抜く 根性もなく 孤独に死んでく 勇気もなしに」

「孤独に死んでく勇気もないよねえ」。
高校生の頃、背伸びめいたそんな会話をしながら、一緒にこの曲を聴いたかつての親友が自殺したのは今から5年ほど前。向日葵のように眩しく明るい存在だった彼女は、なぜか知らないけど、陰性植物のような存在だった私を好いてくれ、時々我が家に遊びに来た。一緒に音楽を聴き、交換日記をし、こっそりパーマをかけに行き、高校でバラバラになったけど年賀状のやりとりは続いた。私が出版社で働くと告げたら、なぜか彼女も追いかけるように出版社へと転職した。私とは比べものにならないくらい大手出版社に。

5年前の夏の日、土曜の朝。知らぬ携帯番号から着信があって、電話を取ると、結婚式で一度だけお会いしたことのある彼女の夫からだった。
「小宮さんのお電話ですか。突然申し訳ありません、○○子の夫です」。
なぜだろう、その一言で、私はこれから告げられるであろう内容を一瞬で理解し、足が震えた。彼女の夫は朝から、すでに何度も同じ電話をかけているのだろう、「実は妻が数年前から鬱だったこと」、「精神薬を長年服用していたこと」、「そして昨夜、多量の睡眠薬を飲んで風呂に入り、自死したこと」をテープの音声のように淡々と伝えた。通夜と告別式の日程までを淀みなく言い終えると、そこで、一仕事済んだように小さな溜め息をもらして、最後にこう付け足した。
 「小宮さんと過ごしていた小中学校時代が人生で一番楽しかったと、妻はいつも言っていたんです。だから、ご無沙汰だったとは思うのですが、来てやってください」

そんな馬鹿な、と思った。笑ってしまった。

私達が生まれ育った、何もない東京近郊の片田舎の町。来る日も来る日も何のドラマも起きない放課後に、モテなかった女の子がふたり、四畳半の部屋でレコードやラジオを聴くしか時間を過ごす術がなかったあの時代が一番楽しかった、ですって? 
私はとっくにあなたのことを忘れていた。
遠い遠い昔のことだ。
そんな馬鹿な。――切れた携帯を見つめながら、気がつけば涙が止まらなかった。

彼女の葬儀がそろそろ終盤に向かっていた。
かつてクラスメイトだったであろう喪服の女性の集団がいたが、誰の名前と顔も一致せず、私はポツンとひとりきり、一番後ろの席に座り祭壇を見つめた。やたら派手なワンピース姿で真っ黒に日に焼けた笑顔の遺影があった。サイドテーブルには、喪の空気を壊すかのようなショッキングピンクやイエローの財布や鞄、エナメルのハイヒールといったブランドものの彼女の愛用品が並んでいた。私がいかに幸せだったかを皆さんに見て欲しいから、葬儀の時に並べてねと、彼女が生前に書き残していたという。
喪主の挨拶で夫は、妻の死因を「自死」とは言わなかった。「誤って薬を飲みすぎて事故死をしてしまった」というような説明をしたと思う。私はそれまで、知らなかった。葬儀では、「自殺で死んだ」と軽々しく言ってはいけないのだと。それが暗黙のルールなのだと。
ずっと引っかかっている。
なぜ、妻は自死したと大きな声で言ってはいけないの? 身内の恥? 世間体? 私にはわからない。自殺だって立派な死ではないか。ベールに包むほうが故人に対して失礼なのではと思う私が、常識知らずなのか。
喉に刺さった魚の小骨のように、違和感が残った。
それからときどき、彼女の夢を見るようになった。彼女が一番好きだったレコードは、サザンオールスターズの「YaYa」だったことも思い出した。他者の記憶の中にずっと色濃く残りたいのなら、「自殺」は最高の死に方だ。もはや私は「YaYa」を聴く度に、息苦しくて、制服がキツくてたまらなかったあの頃の、黴臭い四畳半の部屋に引き戻される。

そして最近、末井昭さんの書かれた『自殺』を読んだ。末井さんのお母様が、末井さんが幼い時に若い男とダイナマイト心中をして亡くなったということは以前から知っていた。だからこれは、母への恨み節? 母への恋歌? そう思ってページをめくり始めたのだけれど、そんな小さなスケールの本ではなかった。「自殺」について、これほどまでに清々しく、そして優しさに溢れた言葉で綴られた本は、今までなかった。自殺について考えることは、孤独をどうやり過ごし、どう生きていくかについて、考えることだった。

 私の喉に刺さっていた小骨を取ってくれた、いくつかの描写を本書から抜粋したい。

  <僕は、自殺が悪いこととも、もちろん、いいこととも思っていません。どうしても生きることがつらくて自殺しようとする人に、「頑張って生きようよ」と言うつもりもありません。ただ、競争社会から脱落して自殺する人に対しては、自分も加害者の一人ではないかという気持ちが、少しはあります>(24頁)

  <人はそんなに大差ないのに、自分だけは特別と思うことが、生きづらさを招きます。そう思うことが正しいことだと思い込まされているので、自分の力を信じて、頑張って頑張ってヘトヘトになっている人も多いと思います。そういう人は孤独です。本当に愛せない人がいないと干からびてしまいます>
(317頁、※著者が千石イエス氏と会ったあとで)

 <本当は、生きづらさを感じている人こそ、社会にとって必要な人です。そういう人たちが感じている生きづらさの要因が少しずつ取り除かれていけば、社会は良くなります。取り除かれないにしても、生きづらさを感じている人同士が、その悩みを共有するだけでも生きていく力が得られます。だから、生きづらさを感じている人こそ死なないでほしいのです> (353頁)

優しくて繊細な人ほど、夜につまずく。
つまずいて、うっかり死ぬこともある。
肯定でも否定でもなく、「自殺」と正面から向き合った本書は、私の宝物だ。あ、大事なタイトルのこと。ロングセラーとなった名著『死刑』(森達也著)に続き、堂々とこの“漢字二文字”のタイトルで勝負に出た編集者の鈴木久仁子さんの勇気に、心からの拍手。そして、この『自殺』という本が描いた優しさと繊細さは、『たまもの』という一冊の素晴らしい写真集と繋がるのだけれど、それはまた次回に――。
 

2014年6月 小宮記
『自殺』末井昭著 (朝日出版社/2013年10月発売)

『自殺』末井昭著 (朝日出版社/2013年10月発売)