第一回 「そして気が付いたら、介護でボロボロになっていた…」

ばあちゃん、介護施設を間違えたら、もっとボケるで。

尼崎で在宅医療に従事する長尾和宏医師と、そのお隣の町・西宮で介護者をあったかく支える「つどい場さくらちゃん」の丸ちゃんこと、丸尾多重子さん。

超高齢化社会、多死社会に向かっていく私達。このお二人の名前を、知っておいて損はありません。今朝も新聞は、我が国の医療費についてのグラフを並べ、政党支持率との関係性を説き、その下には「長生きしたけりゃ○○を食べろ!」、みたいな雑誌の広告。昼のテレビのワイドショーでは、「介護疲れか? 65歳の息子が87歳の母を死なす。なぜもっと早くにSOSを出さなかったのか?」と伝えて、その数秒後に生命保険会社のCMに画面が切り替わる。「医療」と「介護」って、こういうふうにしか、メディアは語れないのかな? なんとなく誰もが、ざわっとした気分で、新聞やテレビを眺めている。ほかにもっと、何か語るべきことがあるんじゃないだろうか? と。

そんな、ざわっとした気分が浮遊する日本の「医療」と「介護」の(関西発)希望の星ともいえるのが、この二人です。「医療」も「介護」も、パソコンの画面でデータを覗き込んでいるだけじゃ、何も変わらない。生きること。食べること。家族のこと。毎日元気で笑っていられるかどうか。そこに愛は存在しているかどうか…それこそが、基本。そんな当たり前のことを、当たり前に語られなくなったこの時代って、どこかおかしいよね?そんな疑問から、お二人に対談をお願いしました。

「医療」と「介護」の狭間でいま何が起きているのか? 私達は、親の将来のため、自分の将来のために何を考えて、準備をしておかなければならないのか? 新聞でもテレビでも絶対に出せない!(だってスポンサーに怒られますから…) 毒も薬も盛り込んでお送りする全世代必読の、医療×介護の、超人間くさい対談です。

「長尾ちゃん」。「丸ちゃん」。
変なふたりの、運命の出会い

長尾 丸尾さん(以下丸ちゃん)が、この西宮の駅前で、「つどい場さくらちゃん」を開いてどれくらいになりますか。
丸尾 2004年の春やから……もうすぐ丸10年やね。この西宮の駅前に越してきてからも5年が経つから。長尾ちゃんと会ってからだって、もう7~8年になるでしょ?
長尾 そうそう。最初はな、不敵な笑みを浮かべた怪しげなおばちゃんやなあって。ある勉強会で、名刺交換したのが出会い。何やってるんですか?って訊いたら、
「介護者のための<つどい場さくらちゃん>ていうのをやってるんです。介護者を癒すための場所です」って言う。
なんやそれって。いかがわしいオバハンやな~って。
丸尾 悪かったな。
長尾 いや、今でこそ、介護者同士が意見を交わしたり、悩みを打ち明け合う場所は全国にたくさんあるけれど、当時はまだ、介護者のために何かする場所、という事自体稀有だったから、ピンと来なかった。どういうことするんだろ? と思って、怪しいオーラ出している丸ちゃんに、「今度その、<つどい場>とやらに、遊びに行ってもええですか?」と僕から声をかけたのが、運命の出会いだった(笑)
丸尾 そない言うたら、私だって長尾ちゃんのこと、「なんや変な医者が来とるなあ」っていうのが第一印象。医者のオーラ、ゼロだったもん。今もやけどな。いやいや、褒めてるのよ。長尾ちゃん、今も昔もちっとも威張らないから。ほんま、ベストセラー作家さんとは思えんわ(笑)。私ね、嫌いな人や威張ってはる人には、「○○先生」ってわざと先生ってつけるの。だから長尾ちゃんのこと、「長尾先生」って呼んだことないでしょ。尊敬してるから。院長さんなのに、白衣を着ているところ、一度も見たことないし。イメージでこの人に白衣着せても、ちっとも似合わんから、本当に医者かいなってね、今でもときどき疑ってるわ。
長尾 でも僕、本当は白衣、ごっつ似合うねん。着ないだけでね。そういえば出会ってからずっと、「長尾ちゃん」、「丸ちゃん」って呼び合ってるしな。いまさら丸ちゃんに先生って呼ばれたらくすぐったい。丸ちゃんは、すぐに顏に出るからね。嫌いな医者やお役所の人が来ると、とたんに無口になるし。
丸尾 そうそう無口な丸ちゃん、またの名を「人斬りのお丸」っていう。
長尾 人斬りのお丸か。くの一みたいや。怖いな。
丸尾 介護のNPOをやってると、いろんな人が取材や見学に来る。介護のこと、認知症のこと、本質的なことが全然わかってないくせにお勉強だけしてきて、「ここが問題や!」ってエラそうに御託並べる人、嫌いなんよ。あとね、「私は介護をやってあげてる。ボランティアをやってあげてる。私って素晴らしい人間だ」って自分のことを持ち上げて自己陶酔しているような人も嫌い。介護ってね、偉いことでもなんでもない。人の営みとして、当たり前のことなんやから。

10年間でたった一人、
家族を三人介護した丸ちゃんの壮絶人生

長尾 だから丸ちゃん、ファンも多いけど、敵も多い。僕と一緒や(笑)。丸ちゃんは、もともと介護の道に進もうと思っていたわけじゃないもんな。自分の介護の経験から、地元の介護者たちを交流する場をと考えて、<つどい場さくらちゃん>を作った。
丸尾 そうです。私ね、<つどい場さくらちゃん>を開く前に、10年間、家族の介護をやったんです。
長尾 本当は、料理の仕事をしていたんですよね。
丸尾 そう。22歳のときに、調理師免許を取って、上京したんです。テレビCMの料理作ったり、もちろん料理屋で働いていたこともあるし、そうそう、航空自衛隊の食堂にいたこともある。15年東京にいたんだけど、両親が年老いてきて、関西に戻ってきました。
長尾 だから丸ちゃん、料理の腕前はプロ級や。僕もときどき、夜中の往診の途中で寄らせてもらって、ごはん食べさせてもらってる。いつでも炊き立てのごはんと美味しいお惣菜がいくつもあるから、ありがたい。もう定食屋は閉まってる時間にあけてくれるから(笑)
丸尾 東京を離れて、両親のもとに帰ってきて、宝塚で、手作りのお惣菜屋さんをやろうと思って、貯金をはたいて開店の準備してたんです。<丸ちゃんのおだいどこ>って名前でね。だけど、そのオープンの当日に、母親が肺がんだとわかって、入院することになった。
長尾 難儀やな。お母さん、そのとき何歳やったの?
丸尾 78歳でした。
長尾 丸ちゃんは、そのとき何歳やったの?
丸尾 内緒。自分の歳のことは言わん。
長尾 はいはい。それで惣菜屋のオープンが延期になったんだ。
丸尾 そうです。母の介護が優先だったから。家賃だけ払って店は開かなかった。だけど、無事手術を終えて、母は一年後にはとても元気になった。これならもう、お店と介護の両立ができるかな、よし、いよいよ店のオープンや! と思った矢先に阪神淡路大震災 (1995年1月17日) が起きた。
長尾 それじゃあ、家賃だけ払い続けてきた店舗は……。
丸尾 全壊しました。そして、回復の兆しが見えていた母親も震災のショックで一気に病気が悪化したんです。次々にがんが転移していった。

在宅で最愛の母を
看取ったけれど…

長尾 丸ちゃん、お母さんのことを在宅介護したんだよね?
丸尾 震災のショックもあったし、そばにいてあげたかった。母も、もう病院は嫌やって言うし。親の自宅は西宮市内だけど、この<さくらちゃん>がある駅前とは違って山間部やったから、まあ田舎なんです。唯一の村の往診医は、モルヒネが扱えなくてね。母は最期、本当に痛がった。
長尾 在宅でがん患者さんを支えるには、いかに在宅医が緩和医療の知識があって、モルヒネや他の麻薬を上手に使いこなせるか、ということがカギになります。当時はまだまだ、そういう医者が少なかった。今も、実は麻薬を上手に使えない医者が多い。これは余談ですが、そういう中には、「ウチは在宅やっているが、がん患者さんは診ません」と最初から断る医者もいる。認知症でもがんでもALSでも、なんでも診られるのが在宅医の基本なんだけどね。
丸尾 そうでしょう? 母親は、最期は本当に苦しかったと思う。今でも後悔ばっかり。あのときにな、長尾ちゃんと会ってたらなあって今でもときどき思う。
長尾 だけど丸ちゃんは、最期までお母さんを病院には連れていかなかったんだ。
丸尾 そう。痛がったけど、家がいいって、多重子と一緒にいたいって言ってくれたから。それで、震災から9か月後の1995年10月17日、母は私の胸の中で旅立ちました。
長尾 丸ちゃんのお父さんはどうされたんですか?
丸尾 母親が死ぬ前くらいから、父親はボケ始めました。それで、母が死んですぐに脳梗塞になって、その後遺症で左半身麻痺。話すことももう、支離滅裂で会話が成り立たなかった。母のことを考えたくなかったんでしょうね、車で長時間出かけて、帰ってこない。それで「どこ行ってたん?」と訊いても、「わからへん」って。
長尾 じゃあ、母親の介護と父親の介護が…。
丸尾 重なった。母親が死んでも、息をつく間もなかったわ。それと同時進行でね、兄の介護もあったんです。
長尾 実のお兄ちゃん? なんで?

気が付いたら、
介護でボロボロになってた

丸尾 次兄は、躁鬱の持病があって、20代の頃から病院を出たり入ったり。私が支えるしかなかった。その兄が自死したのは、母が死んでから一年半たったとき。兄の最期を見届けたのも私です。
長尾 僕も、実の父が丸ちゃんのお兄さんと似たような状況で自死しています。大切な家族が自死したあとの喪失感は、幾つになっても言葉にはならないね。あれは僕がまだ高校生のときだったけれど、未だにうまく心の整理がつかない。
丸尾 ほんと、そう。大震災から始まって……痛みに苦しみ抜いた母の死、長年病に苦しみ続けた兄の自死、もう会話が成立しない父親の介護。私の人生、何なんやろかって、気が付いたときには、自分がボロボロになってたんよ。
長尾 そりゃ、なるよ。お父さんは何年介護したの?
丸尾 8年間。それである日突然、誤嚥性肺炎になってね、そのとき父はもう93歳になっていたんだけど、そのとき入院した病院の先生から、こう言われたんです。「療養型病院に入院するか、胃ろうをつけて在宅介護を始めるか、どっちか選びなさい」って。だから私、父親も在宅で看取ろうって決意した。母親のときの経験も生かせるだろうという想いもあった。それで、胃ろうのこととタンの吸引法を慌てて勉強して、父親を退院させた。
長尾「在宅で看取ってもいいけど、胃ろうはつけて退院しろ」っていう病院は今でも多いよ。本当はまだ、食べられるかもしれないけどな。
丸尾 そのときは、胃ろうの知識も何もなかったしね。
長尾 そこから丸ちゃん、お父さんを在宅でどれくらい介護したの?
丸尾 一日ですよ。
長尾 えっ、たった一日!?
丸尾  退院した翌日に、父はあっけなく旅立ったんです。急に孤独になった。
長尾  丸ちゃん、結婚は? 
丸尾  長尾ちゃん…今の話、聞いてたら、わかるやろ。そんな暇、ありませんでした。そんな女性、世の中いっぱいいるよ。親の介護をしているあいだに婚期を逃しましたっていう女性がね。親の介護の真っ最中の女にさ、わざわざプロポーズして嫁にもらおうと思う男、見たことないね。そういう男が増えてくれないと、日本の少子化は止められないよ。
長尾 難しい問題やな。だから親は、「娘に迷惑かけたくないから、施設に入る」って言うねん。
丸尾 確かにそういうケースもありがちだけどな。それもおかしな話だと思うのよ。迷惑かけたくないって遠慮が邪魔することもある。それなら、「後悔しない介護」って一体何なんやろうって<つどい場さくらちゃん>やりながら、いつも考えている。
長尾 それは終末期も一緒だけどね。「本当は家で死にたいけど、家族に迷惑かけたくないから病院で死ぬ」と考える人、いっぱいおる。核家族社会になってから、「家族に迷惑かける」という気持ちが、前面に出すぎているのが今なんです。
丸尾 家族を介護する、看取るってことは、ものすごい貴重な人生経験なのにな。悲しい経験には違いないけど、結果的に人間性が豊かになるのにね。
長尾 だから丸ちゃん、人間が丸いんやね。愛する家族を三人もひとりで看取ったから。
丸尾 体は折れそうなほど細いけどな(笑)

第一回  そして気が付いたら、介護でボロボロになっていた…
第一回  そして気が付いたら、介護でボロボロになっていた…


第一回 了