ランドセル俳人の五・七・五 いじめられ行きたし行けぬ春の雨――11歳、不登校の少年。生きる希望は俳句を詠むこと。 小林 凜・著

ランドセル俳人の五・七・五 いじめられ行きたし行けぬ春の雨――11歳、不登校の少年。生きる希望は俳句を詠むこと。   小林 凜・著

ランドセル俳人の五・七・五 いじめられ行きたし行けぬ春の雨――11歳、不登校の少年。生きる希望は俳句を詠むこと。 小林 凜・著

¥1,200

いじめられ不登校になった少年を支えたのは俳句だった…。「朝日俳壇」で絶賛された天才少年が紡ぎ出す、希望と絶望の世界。

商品カテゴリー: 商品タグ:
(表示は本体価格です)

〈Content〉

九歳で「朝日俳壇」にその作品が掲載され、多くの読者を驚かせた少年・小林凜。彼は生まれたとき、たったの944gだった。奇跡的に命が助かり、成長した彼は、その小ささから小学校入学とともに、壮絶ないじめに遭う。いじめを見て見ぬふりをする学校。「誰も凜を守ってくれない!」命の危険すら感じた母は、息子を学校に行かせないことに決めた。不登校の日々、少年の心を救ったのは俳句をつくるということ―――五・七・五に込められた少年の孤独、優しさ、季節のうつろい、世の不条理。

聖路加国際病院・日野原重明院長 推薦!
――不登校の少年凜君は俳句を作り始めたことでいじめに耐えた。 春の陽に彼は輝く。

「俳句への挑戦」
 この日本には、いじめられている人がたくさんいる。
 僕もその中の一人だ。いじめは一年生から始まった。からかわれ、殴られ、蹴られ、時には「消えろ、クズ!」とののしられた。それが小5まで続いた。
 僕は生まれる時、小さく生まれた。「ふつうの赤ちゃんの半分だったんだよ、1キロもなかったんだよ」、とお母さんは思い出すように言う。
 だから、いじめっ子の絶好の標的になった。危険ないじめを受けるたびに、不登校になってしまった。そんな時、毎日のように野山に出て、俳句を作った。
 「冬蜘蛛が糸にからまる受難かな」 これは、僕が八歳の時の句だ。
 「紅葉で神が染めたる天地かな」 この句は、僕のお気に入りだ。
 学校に行きたいけど行けない自分がやすらぐために、たくさんの俳句を詠んだ。
 僕を支えてくれたのは、俳句だった。不登校は無駄ではなかったのだ。いじめから自分を遠ざけた時期にできた句は、三百句を超えている。
 今、僕は、俳句があるから、いじめと闘えている。

小林 凜
myg91_img01
myg91_img02


「いじめ受け春も暮れゆく涙かな」
「春の虫踏むなせっかく生きてきた」
「苦境でも力一杯姫女苑」
「成虫になれず無念のかぶと虫」
「迷い蝉君の命はあと五日」
「半月や静かな海はどこにある」
「ぬかるみに車輪とられて春半分」 
「生まれしを幸かと聞かれ春の宵」

(本書掲載作品より)

凜君の母・史さんの手記より抜粋

凜は2001年の5月、予定日より3ヶ月早く、944gの超低体重児で生まれた。医師からは「命がもつか、まず三日間待って下さい」と言われた。保育器の中でサランラップを巻かれて全身に管を何本もつけた、今にも消え入りそうな小さな命。生まれてすぐの試練に息子は耐えた。3日過ぎてもその小さな心臓は動いてくれた。この子を生かす、命に代えてでもこの子を生かそう――母親の切なる願いを凜は叶えてくれた。

小学校入学。神様に感謝する一方で、それは艱難辛苦の日々の始まりであった。ある程度のいじめは、覚悟していた。小さな子ども同士だ、小さくて力も弱い凜が、同級生の心無い一言で傷つくことはあるだろう。しかし、実際に教室で起こり始めたことは、家族の想像を遥かに超えていたのである。凜、ごめんね、ここは、地獄だったよ。学校と話し合いを持ちながら、進んでも進んでも光が見えない日々の中、「自主休学」という選択をした。凜のほっとした顔を忘れられない。「小学校って残酷なところやなあ」と呟いた。

毎朝、凜は祖母に連れられて、公園や野原を愛犬を連れて散歩した。草むらの虫に目を凝らし、飛び交う蜻蛉を追い、朝露を踏みながら団栗の落ちる音を聞いた。それらは凜の俳句作りの舞台となった。

朝日新聞の「朝日俳壇」に入選したのは、そんないじめの最中だった。三年生の十二月に初入選。その後も入選を重ね、凜は辛い思いをしても「僕には俳句がある!」と言うようになった。

小林凜(こばやしりん)

著者:小林凜(こばやしりん)。本名・凜太郎。2001年5月生まれ。
現在小学校5年生。大阪府在住。小学1年生から、いじめられて不登校に。