次の1冊が決まらない人のためのファンタジーブックガイド ファンタGメン‘05

次の1冊が決まらない人のためのファンタジーブックガイド  ファンタGメン‘05

次の1冊が決まらない人のためのファンタジーブックガイド ファンタGメン‘05

¥1,238

「ハリーポッター」と前後して刊行された40作品を丁寧にレビュー。「いったいどのファンタジーが面白いの?」という疑問に答えつつ、次の1冊が必ず見つかる最新のファンタジーガイドブック。

在庫切れ

商品カテゴリー: 商品タグ:
(表示は本体価格です)

〈Content〉

『ハリー・ポッター』に続くファンタジーを探す旅に出よう!

 『ダレン・シャン』『バーティミアス』『ライオン・ボーイ』『デルトラ・クエスト』『ハウルの動く城』……いったいどれがホントにおもしろいのか!? 次の一冊が見つからない人に贈る、今までになかったファンタジーブックガイド!

 『ハリポタ』がおもしろかったので、ほかのファンタジーも読みたいと思って本屋に行ってみたけれど、すでにたくさんのシリーズが出ていた。本棚の前で悩んでみたけれど、オビには「世界中で大反響」「各国で翻訳、映画化決定!」など、似たような文がおどり、結局どれを読んだらいいのか検討もつかない。

そんな経験、ありませんか?

 本書では、『ハリー・ポッター』を皮切りに、ドバッと出たファンタジー40作品を徹底調査しました。話題の作品から隠れた名作までを網羅。これを読めば、お気に入りのファンタジーが見つかること請け合い。迷うことなく、興味のある一冊を選ぶことができます。

 この本は、単なるブックガイドではありません。1つのシリーズにつき、レビュアー(ファンタGメン)6人のうちから3人がレビューをする形で進んでいきます。

シリーズの内容紹介→3人のレビュー(最高☆5の評価入り)

 という流れです。レビューは複数の視点から書かれているので、それらを照らし合わせることで多面的に作品を判断できますし、なかには共感できる意見も見つかることでしょう。
「こんなに出てたら、一つひとつ読むことなんてできない!」「もうダマされたくない!」と思う人にはピッタリの本です。本書は、ファンタジーに詳しくない人でも気軽に手にとれるものをめざしました。

myg00_image02

myg00_image01

PDFファイル

目次

・厳選! これだけは読んでおきたい40作品レビュー
・〈ファンタGメン〉 座談会
・訳者INTERVIEW 〈翻訳家 金原瑞人〉
・ファンタジー映画紹介 〈SF映画評論家 添野知生〉
・入門者のための、ファンタジー用語解説
・古典ファンタジー紹介 〈エディター 山田うに〉

翻訳者インタビュー

~金原瑞人氏に、翻訳のウラ側を聞く~

――金原さんが翻訳をされてきて得た、「翻訳の哲学」や「翻訳の役割」とは何でしょうか?
 2年位前に江國香織さんとお話したときのことです。江國さんは翻訳と創作の両方をされている人だから、「どういうふうに違いますか?」という話をしたことがあるんですね。そのときに印象的だったのは、江國さんが「翻訳は楽しい」と言っていたこと。逆に「小説を書いているときは、どんなに自分がノッていて、どんなに意欲を燃やしていても、机に座るのがつらい」と。「でも、翻訳だと、スイスイ進んでいるときは喜んで机に座れる」と言っていました。
 それは僕もよく思うことで、書く人を見ていると、身を削るようにして書いているところがある。翻訳ではそれがあるかというと、僕の場合、ないんです。自分をいじめて出てくるようなものではないわけです。江國さんが創作をする場合には、原稿用紙50枚分書いていたものが、その日机に向かうと、20枚に減ってしまうこともあり得ると言っていましたが、翻訳は苦労した分、結果に反映される。文量的に労力が目に見える形で反映されるというのは、ある意味楽です。 いってみれば、翻訳とは職人作業。翻訳者は職人として、竹で籠を編むようなことをやるわけです。だから、自分の思いをこめた創作、芸術作品を作るという意気込みではないと思います。
 全体が、そして、全体をどういうふうにしていくかは見えていて、それを自分の指で編んでいくような職人作業だという気がするんですよ。一球入魂じゃないけれども、熱意や芸術的想像力に燃えて取り組むものではない。ある程度は、作者に対して自分は透明人間のように、作者の伝えたいものを伝えるというスタンスがどこかにないといけない。「これは俺のものだ」と思って情熱を傾けるようなものでは、たぶんないんですね。
 「透明人間として、あるがままを伝える」役割と、「職人として、それを伝えるためにはどういう言葉を並べたらいいか」を工夫して行なう。機械的にやるか、慎重にやるかの判断は、その場その場で違ってきますが、仕事としてはそういうところがあると思っています。

――訳しているときに、作者の苦しみや熱意は伝わってくるものですか?
 力を入れて書いているところは、伝わってくるような気がする。かといって、そこに力を入れて訳すかというとそうでもない。「力を入れているんだな」と、客観的に見ればいいんです。熱意を受け止めて力を入れる必要は逆にないわけで、力を入れたものを冷静に組みなおすことができればいいだろうという気はしています。

――翻訳のおもしろさとはどういった点にあるのでしょうか?
 原文を読んで、自分の言葉で、自分の文章にしていく作業がおもしろいという人もいます。僕は、そういう作業は嫌いでもないけれども、「それがそんなにおもしろいかな」と。淡々と竹を編んでいるような作業なので、ワクワクしながら竹を編むと、職人はそれでは身が持たないだろうと思う。
 できあがったものを見て「おお、いいな」というのはわかります。けれど、作っている途中からワクワクして「どうなるんだろう」と思う気持ちは作家にはあり得るでしょうが、翻訳家の場合はすでにわかっているわけです。そういうところでは、そんなに翻訳という作業そのものがおもしろいとは思わない。それよりはいろんな原書を読んで、「これを訳すとおもしろいな」という作品に当たったときや、あるいはそれを訳し終わって本になったときのほうがいい。

――ということは、訳す作業よりも、見つけるときのほうが楽しいと?
 そう。どんな出版社から、どんな形で出すとみんなに読んでもらえるかといったことを考えるのが楽しい。僕はやっぱりそういうほうが好きで、本当は編集者になりたかったんだけれども、大学四年の時、集英社も文春も全部落ちちゃって。翻訳の作業って地味だし、そんなに楽しくないですよ(笑)。座り仕事だし。

――では逆に、難しさを感じるときはどんなときですか?
 英語に限らず、外国語を入念に訳すときに困るのは、意味がよくわからないということ(笑)。けど、それがそこまで困るかというと、それほどでもない。ネイテゥヴに聞けば察しはつくし、それでもわからなければ、作者に聞けばはっきりとわかる。そういった意味では、難しくはあるけれども、それほど困った問題ではない。
 一番難しいのは、自分がおもしろいと思って出版社に持ち込んでOKが出て、いざ訳しはじめると、原作の文体が自分の文体に合ってないのがわかったとき。それが一番困る。
 自分の文体というのは、いくら変えてもそんなに変わらない。「ですます」体にしようが「である」体にしようが、それは目先のものであって、文体は人によって違う。だから、若い人たちの書いた、若い人が主人公の作品は、僕はもう訳せない。よく翻訳で気になるのは、いかにもおじさんが訳しましたというYA(ヤングアダルト)本。ああいったものを見ると、すごく悲しい気持ちになるし、自分で訳してみて訳せないと、それもまた悲しい気持ちになる。自分で訳せないのはわかるわけですよ。「今の人たちはこんなセリフをいわない」というのは。ではどう書けばいいかというと、それがわからない。
 今、共訳が多いのはそういった理由ですね。やっぱり20、30代の人たちは若いので。僕が訳したYAもので、会話のところがよかったといわれるところは、だいたい僕じゃなくて、共訳者が訳した箇所なんです。だから、共訳者を選ぶときに、「この作品なら誰がいいかな、というのを考えるのが楽しい。

――共訳者は金原さんが選ばれるんですか?
 僕が選びますね。共訳者が訳してきた原稿を読むと、誤訳や拙い表現があるんだけど、うまいなと思う(笑)。「そうか、こういうふうにしゃべるんだな」と。
 『マインド・スパイラル』は代田さんと訳したんですけど、これはもう代田さんの文体なんですね。あと、YAものでも若い人の文体で、というのが多いですよ。
おもしろいのが、若い人だからといって、若者向けの本が向いているとは限らないこと。そういう人にはまた別の本が合うわけで。

――なかなか難しいですね。
 いえ、楽しいですよ。逆に、一人でやるほうが難しい。もっとみんな共訳を使うと訳せる範囲が広がってくるし、無理がなくなるからいいのにと思っています。

――そういったやり方でやってらっしゃる人は、ほかにおられるんですか?
 知らないですね。昔は一部の編集者からよく「共訳はやめてくれ」と言われたことがあったけれども、僕は、基本的には共訳のほうがいいと思う。共訳者が訳したものに原文とのチェックを入れて、向こうに戻す。すると、向こうなりにまた直してくるわけですよ。こだわりがある箇所もあるから。
 そうやって返ってきたあとに、第三者に原文との突き合わせを頼みます。そうすると、誤訳や抜けているところが直っていく。だから、だいたい3人ぐらいでやっている。みんなそういう方法をとればいいと思うんですけど、普通それができないのは、翻訳印税がそう高くないからです。翻訳一本でやっている人だと、暮らしていけなくなっちゃう。

――けれど、作品の完成度としていえば、複数で訳したほうがいいものができるということですよね?
 当然です。だから翻訳工房、ワークショップみたいなところを作っちゃって、5,6人の翻訳スタッフを集めてやっていってもいいと思うんですよ。そういう方法もアリなんだろうなと。

――先ほど「難しい表現は作者に聞けばいい」とおっしゃいましたが、日本にないことわざや慣習はどのように訳されているんですか?
 たとえば『平家物語』の「おごれるものも久しからず」という言い回し、英語にも似たような言い回しはあって、昔は「おごれるものも久しからず」と訳してOKだったんですが、今はそんなこと言わないじゃないですか。
 昔は、日本語らしい表現をいかにうまく使うかというのが翻訳の一つのおもしろさでもあった。瀬田貞二はそれがうまい。『ナルニア国ものがたり』では、「泥足にがえもん」や「朝びらき丸」といった訳をしている。
 そんなふうに、日本語特有の言い回しを使いながら、海外の作品を紹介していくのが昔の翻訳の流れだったんだけれども、外国と日本の文化的な差がなくなってきて、むこうのことがわかってくると、「イギリスのものなのに、どうして『泥足にがえもん』という訳なの?」と、鼻についてくる。あるいは、「朝びらき」って日本酒の銘柄じゃん、とか。
 昔であれば、「町の通りが碁盤の目のように走っている」でいいけれども、今だと、イギリスが舞台なのに「碁盤はないでしょ」ということになる。日本語的な言い回しが、邪魔になってくる。
 そういった言い回しを、どこまで使えるのかを考えるのが難しいかな、と。時代の流れとともに翻訳は変わってくるから、使える単語もどんどん変わっていく。その見きわめは、僕の年齢ではわからなくなってきています。特に子どもの本に関しては。

――迷った場合は?
 迷った場合はなるべく使わないですね。

――では、単語ではなく、文化の違いを知っていないとわからない訳の場合は?
 それはいくらでも工夫のしようがあって、たしか、『メアリー・ポピンズ』で寒暖計を見ながらとんとんと指でたたくところがあるんですよ。あれはなんでやってるかというと、まったく意味はなくて、なんとなく向こうの人はそうやると正しい温度がわかるような気がしているからなんです。
 そういった場合は「おまじないに」というふうに、一言添えればいい。文化的な違いや風俗の違いは、翻訳でそれほど困るということはない。わからなければ、カッコにして注を入れればいいわけです。

――なるほど。ためになるお話、大変ありがとうございました。

金原 瑞人 (かねはら・みずひと)金原 瑞人 (かねはら・みずひと)
法政大学教授・翻訳家。訳書に『豚の死なない日』(白水社)『青空のむこう』(求龍堂)『バーティミアス』(理論社)、著書に『大人になれないまま成熟するために』(洋泉社)など。 金原瑞人さんのホームページはこちら!
http://kanehara.jp