顔で笑って、心で泣いて。 忘れられない母のことば梅沢 富美男

顔で笑って、心で泣いて。 忘れられない母のことば梅沢 富美男

顔で笑って、心で泣いて。 忘れられない母のことば梅沢 富美男

¥1,500

失ったものを嘆いても、時代を恨んでも仕方ない。
今、自分が持っているものだけで何ができるかを考えないと。
~真の女性の強さとは何か? 母の愛情とは何か?~ 
NHK『ファミリーヒストリー』で話題となった、
今明かされる、梅沢富美男の母の壮絶人生!

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〈Content〉

梅沢劇団創立80周年記念出版

梅沢富美男の母は、梅沢富美男よりも強くて凄かった。

小説よりもドラマティック! 芝居と家族に命を捧げた女の一生!
なんでもっと前に、おふくろが生きているあいだに、こうしてあげられなかったんだろうか。
親の心、親の愛情というのはいつだって、後になってからわかるんだ。
 

激動の戦争を芝居とともに生き抜いた、富美男の母・竹沢龍千代(たけざわりゅうちよ)
大正2年、青森県藤崎町でりんご農園を営む家に生まれる。
1歳半の時、囲炉裏に落ちて大火傷を負う。痣が残ったため、嫁の貰い手がないと考えた母は、一人で生きて行けるようにと龍千代に日本舞踊を習わせる。
少女時代は福島で過ごすが、15歳のとき、父が不倫の果てに駆け落ちをし、一家は火の車に。小樽へ渡り親戚の世話になる。
17歳のときたまたま見た「娘歌舞伎」の旅一座に魅せられ、勘当同然で入門。旅役者になれば失踪した父を捜せるという想いもあった。
龍千代は娘歌舞伎ですぐに頭角を現し、あっという間に花形スターと成長。全国的な人気を得る。
しかし、まもなく戦火は激しくなり、何度も赤紙が来る野砲兵だった清の代わりに、命がけで一座を守り抜いた。
旅興行を続けながら八人の子を育てあげる。
昭和58年、富美男が『夢芝居』で紅白歌合戦に出る半年前に清が死去。
龍千代は、66歳のときに白血病で余命半年の宣告を受ける。しかし、その後奇跡的に20年間生きて、富美男たちの成長を見守った。
富美男は、父・清のときも、母・龍千代のときも仕事を優先し、臨終には立ち会わなかった。
「何が起きても舞台を降りるな」という母の教えを守ったからである。

母親である前に生涯役者であった人でした。良い母親だとは決して言えないでしょう。でももう一度生まれ変われるならば、僕はやっぱり、龍千代の息子として生まれたい。
    --梅沢富美男


【目次】
梅沢富美男・巻頭グラビア

●第1章● ダイヤモンドの指輪
 
●第2章● 女の園

●第3章● 父との再会

●第4章● 師匠の死と、龍千代の結婚

●第5章● 郷に入れば、郷に従え

●第6章● 龍千代、母になる

●第7章● 戦争と旅一座

●第8章● 七人目の子ども

●最終章● おまえを生んでよかった


【PROFILE】
梅沢富美男(うめざわとみお)
1950年11月9日生まれ。福島県福島市出身。「梅沢富美男劇団」座長。
大衆演劇隆盛期に活躍した花形役者の父・梅沢清と娘歌舞伎出身の母・竹沢龍千代の5男(8人兄弟の5男)として誕生。
1歳7ヶ月で初舞台を踏み、15歳から兄・武生が座長を務める「梅沢武生劇団」で本格的に舞台に立つ。
その後、20代半ばで舞踊ショーの女形が話題となり、一躍大衆演劇界のスターに。
2012年、兄・武生から劇団を引き継ぎ、座長に。舞台では二枚目から三枚目、艶やかな女形まで幅広い役をこなし、脚本・演出・振付も手がける。
そのほか、テレビドラマや映画などにも俳優として多数出演。
青森県藤崎町〈ふじりんごふるさと応援大使〉、福島県〈しゃくなげ大使〉、青森県深浦町〈深浦町観光特使〉など、ふるさとへの応援活動も多数。
梅沢劇団は2019年、創立80周年を迎える。