母ちゃんのフラフープ
誰もがそうとは言わないが、親とは二回、別れがある。
一度目の別れは、子どもが実家を出ていくとき。
二度目の別れは、親がこの世を出ていくときだ。
やがて和室に僕と母ちゃんのふたりだけになった。
「帰って来られてよかったな、母ちゃん」
母ちゃんは、しばらく黙ったままだったが、
ふいに目を開けた。
「あつし」
「うん?」
「あした、病院に、戻らんといかんでしょう。
このままここで死んだら、お父ちゃんに、迷惑、かかるし」
「そんなことを言うのはまだ早いんじゃない?」
ううん、と母ちゃんは小さく首を横に振る。
「もうしんどいわ。次に病院に戻ったら、
痛み止めのモルヒネ、どんどん打ってもらう。
今しか、ない。だから、なんでも言っておいてな」
強い瞳で僕を見る。
ヘンだな。いざ母親と向き合うと、何を話していいのか思い浮かばない。
僕は喋りを商売にしているくせに。
本当は山のように話したいことがあるはずなのに。
・・・・本書「プロローグ」より・・・・
2020年8月。コロナ禍の中、
がん終末期で入院中の母・久仁子(くにこ)は、
72歳の誕生日をどうしても自宅でお祝いしたいと願う。
痛い、苦しいと言ったら、
一時退院の許可が下りないかもしれないと考え、
最後の力を振り絞る。
久仁子は、一切の延命治療を拒否。
尊厳死宣言書を残し、自分の最期を決めていた。
まだ生きていてほしい。だけど……
旅立つ本人の希望を、
息子は、夫は、どのように受け入れたのか?
~どの家族のお別れも、「世界に一つだけの物語」~
田村淳 慶応義塾大学大学院2020年度修士論文も一部抜粋して収録!