第八話  鹿児島の「カゴ」は「籠」なのか?(第二回)




 福井県に「遠敷」という地名がある。読めないだろうなあ……。「とおじき?」なんだ?
 読めない地名といえば、出雲(島根県東部)の「十六島」が有名で、これで「ウップルイ」と読む。読めないよなあ。絶対。「ウップルイ」って、なに?
 それはともかく、「遠敷」の住所のある場所にJR西日本(小浜線)の駅もある。けれども「遠敷駅」ではない。「東小浜〈ひがしおばま〉駅」だ。もちろん、小浜の次の駅である。出たよ、この安易なネーミング。福井県小浜市遠敷の駅なのだから、「遠敷」にしないと……。



JR西日本小浜線の東小浜駅。福祉センターとの合築駅舎のため、結構立派。


 その昔、若狭国遠敷郡という地名だったのだから、それはそれは由緒正しい「遠敷」なのである。 
「誰にも読めないから、知恵を絞って東小浜にしたのでは?」
 としても、「遠敷」の方が、「絵になる」。もったいない話だ。ちなみに、「遠敷」は「おにゅう」と読む。
「遠敷」の語源を探っていくと、「丹生〈にう〉」に行き着くようだ。すなわち、もともとは「小丹生」と書いたらしい。
「丹生」と名のつく地名は、西日本各地に散らばっている。水銀鉱床の近くに「丹生」の地名がつけられた。「丹」は硫黄と水銀の化合した赤土のことだ。辰砂〈しんしゃ〉ともいう。
 ところで、小浜市は「西側に延びた福井県」の一部なのだが、元々は若狭国だった。全国どこにでもある話だが、明治時代に歴史を無視した県境を作ったために、福井県はまったく異なる文化圏で構成されるようになってしまった。
 若狭といえば、鯖街道が有名で、日本海でとれたサバを塩漬けにして、陸路で京都に運んだ。だから若狭は京都と接点をもつが、福井平野とは、あまり緊密な関係はない。その一方で、若狭と奈良も奇妙な形でつながっている。
 毎年三月(旧暦二月)に東大寺二月堂で行われる修二会〈しゅにえ〉のクライマックスに、良弁杉〈ろうべんすぎ〉の脇の閼伽井屋〈あかいや〉で若水を汲み上げられる。これがいわゆる「お水取り」で、この水は若狭の遠敷から送られてきたものだ。



閼伽井屋。「閼伽」とは仏前に供される水のこと。普段は水が枯れているが、三月十二日の深夜「お水取り」の儀式の時だけ、遠敷川の水が沸き出すという。

 遠敷川(音無川)に沿って、若狭彦神社と若狭姫神社が鎮座し、その神宮寺(若狭神宮寺)が三月二日に鵜の瀬から水を送ると(お水送り)、地下を通って十日後に奈良の二月堂に届くのだという。



三月二日、神宮寺から山伏姿の行者や白装束の僧侶らを先頭に三千人程の松明行列が、ほら貝の音とともに鵜の瀬へ向かう。護摩焚きの後、住職が祝詞を読み上げ、竹筒からお香水を遠敷川へ注ぐ。


 伝承によれば、奈良で神々の寄合いがあったとき、釣りをしていた遠敷明神は、遅れてしまった。そこで、お詫びにお香水〈こうずい〉を送ることにした。ご本尊に備えてもらうためだ。すると、白と黒の鵜が二月堂の下から飛び出し、水が湧いたのだという。
 なぜ若狭と奈良がつながったのだろう。謎を解く鍵が「丹生」「丹」であろう。
 二月堂の修二会で夜な夜な執り行われる行は、一般的な仏教行事とも異なる。修験者のそれに近いと思う。盧舎那仏(大仏)造立に活躍した人びとの中には、山から湧き出た怪しげな人びとがたくさん混じっていた。彼らはのちに修験者と呼ばれるようになるのだが、山で鉱脈を探り当てる特別な才能を持った人びとでもあった。
 大仏に金メッキをしなければならないが、そのために大量の水銀(丹)が必要となる。だから聖武天皇は、山の民を味方にして、丹の鉱脈を求めたのだろう。

 遠敷は地下水脈を通じて奈良につながっていたが、若狭彦神社と若狭姫神社の祭神、彦火火出見尊〈ひこほほでみのみこと〉と豊玉姫〈とよたまひめ〉は、九州と関わりがある。この神たち、海幸彦山幸彦神話の主人公なのだ。なぜ日向神話の神々が若狭の地で祀られているのだろう。
 遠敷だけではない。若狭の周辺には、意外な場所とつながる話が目白押しだ。
 小浜市から若狭湾を西に進むと、丹後半島に突き当たる。その丹後半島の付け根に鎮座するのが「籠神社〈このじんじゃ〉」(京都府宮津市)で、「カゴ」の名がつく。
 籠神社は元伊勢と呼ばれるが、その理由は伊勢外宮の祭神・豊受大神〈とようけのおおかみ〉が、このあたりから伊勢に勧請〈かんじょう〉されたからで、籠神社の伝承によれば、初め豊受大神は籠に乗って虚空で輝いていたといい、「籠の神社」になった理由の一つと考えられる。「籠の神社の籠」は、豊受大神と関わっていたことは、間違いない。



籠神社。本殿正面には、伊勢神宮と籠神社にしか祀ることが許されていない五色の座玉〈すえたま〉が輝く。


 籠といえば、日向〈ひむか〉(南部九州)を舞台にした海幸山幸神話にも登場する。物語のあらすじを記しておく。
 山幸彦(彦火火出見尊)は兄の海幸彦(火闌降命〈ほのすそりのみこと〉)に借りた釣り針を海でなくしてしまう。代わりのものを差し出したが、兄は許さなかったので、山幸彦は途方に暮れてしまった。すると塩土老翁〈しおつつのおじ〉なる神が山幸彦を無目籠〈むなしかたま〉(固く編んだ籠。水が染みこんでこない)に乗せ、海神〈わたつみ〉の宮に誘った。山幸彦は海神の娘(豊玉姫)と結ばれ、極楽のような生活を送ったが、三年後に望郷の念にかられ、陸に帰りたいと言い出した(何しろ、「山」幸彦だし)。許した豊玉姫は、呪具を渡し、山幸彦はこれを使って海幸彦を懲らしめた。こうして山幸彦の末裔は天皇家に、海幸彦の末裔は隼人となった。めでたし、めでたし……。
 いやいや、いやいや、これはぜんぜんめでたい話ではないのだ。
 山幸彦が故郷に戻るとき、豊玉姫は「子供ができた~!!」「認知しろ~!!」と、山幸彦に迫ったのだ。豊玉姫は「海の荒れた日に海岸に赴いて、子を産み落とすから、産屋を用意して待っていてほしい」と頼んだ。はたして豊玉姫はやってきて、子を産んだ。このとき、「けっして中を覗いてはいけません」と釘を刺したのだが、山幸彦はつい、タブーを犯してしまう。すると豊玉姫は、竜の姿になっていた。豊玉姫は恥じて怒り、海と陸の道を閉ざし、子を残して帰って行ってしまったのだった。生まれた子の名は彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊〈ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと〉という。神武天皇の祖父である。

 気づいた方も多いと思うが、海幸山幸神話は、浦島太郎伝説にそっくりなのだ。山幸彦は「助けた亀」の代わりに、「無目籠」に乗って海神の宮(竜宮城)に向かっている。「籠」は「カゴメ=正六角形の連続模様」を作り出すが、これは亀の甲羅を暗示している。山幸彦が海神の宮に三年いて、故郷に戻って「覗いてはいけないものを覗いたら不幸な目に遭った」が、これも浦島太郎とそっくりだ。
 そして引っかかるのは、丹後の籠神社が、浦島太郎の故郷でもあったことだ。『丹後国風土記』逸文に、浦島太郎伝説がある。
 つまり、若狭が奈良につながり、しかも日向にもつながっていたように、日向神話は、丹後の浦島太郎伝説とも接点をもっていたことになる。これは、偶然なのだろうか。それとも……。

 ここで、改めて「籠」に注目せざるを得ない。
 山幸彦を海神の宮に導いた塩土老翁は住吉大社(大阪市住吉区)の祭神で、別名を住吉三神といい、海の民の祀る神だ。代々、住吉大社を祀ってきた津守氏は尾張氏同族で、籠神社も尾張系の神官が代々祀ってきた。尾張氏は東海地方を代表する海の民であり、日本各地に拠点を構えた。
 その尾張氏は、やはり「籠」と接点をもつ。
 尾張氏が関わりをもつ塩土老翁と籠神社、どちらも「籠」とつながっていたが、一方で、尾張氏の粗に「天香語山命」(あまのかごやまのみこと)がいる。この名を「天の籠の山」とすれば、尾張氏とつながっていたから、塩土老翁と籠神社が「籠」と関わりをもっていたと、思い至る。
 そもそも尾張氏は何者なのかというと、『日本書紀』は天皇家の祖神から枝分かれしたといい、物部系の『先代旧事本紀』〈せんだいくじほんぎ〉は、「尾張氏は物部氏と同族」と主張する。どちらかが嘘をついているのではなく、ヤマト黎明期のヤマトの王家は、複数の首長たちが交互に立ち、また血の交流を深め、閨閥〈けいばつ〉を形成し、これがヤマトを指導する中枢となっていった可能性が高い。その中に、物部氏や尾張氏の祖が含まれていたのであって、ここにヤマト建国の真相が隠されている。

 そしてようやく、鹿児島県の「カゴ」に話は戻ってくる。
 ヤマトの王(天皇)は南部九州の隼人と強く結ばれていた。身辺を護らせ、儀礼を執り行わせた。両者には強い信頼関係が構築されていたのだ。その理由を求めるならば、ヤマト建国の直前、実際に天皇家の祖が南部九州に住んでいて、その後ヤマトの物部氏や尾張氏に迎え入れられたと考えれば、矛盾はない。天皇家の祖は、籠に乗せられて、神格化され、ヤマトに連れて来られたのだろう。
 巨大前方後円墳が北部九州に存在せず、逆に南部九州に複数の古墳群が確認されているのも、傍証となろう。
 南部九州は、カゴ(籠)を通じて、ヤマトの中枢と通じてくる。だから、「鹿児島」の「カゴ」も、「ヤマトとつながる籠」のことではなかろうか。



関 裕二 (せきゆうじ)

1959年千葉県柏市生まれ。歴史作家。仏教美術に魅せられ、足繁く奈良に通う。『古代史謎めぐりの旅 出雲・九州・東北・奈良編』『古代史謎めぐりの旅 奈良・瀬戸内・東国・京阪編』『仏像と古代史』(すべてブックマン社)、『蘇我氏の正体』(新潮社)、『東大寺の暗号』(講談社)、『神社仏閣に隠された古代史の謎』(徳間文庫)、『捏造だらけの「日本書紀」』(宝島社)など著書多数。

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