第十六話 湖西線 小野駅と和邇駅の秘密




 前回は、阪急電鉄の御影駅の「御影」と滋賀県の野洲市がつながるという話をした。今回は、近江の琵琶湖(滋賀県)にこだわってみたい。駅は、湖西線の「小野」と「和邇〈わに〉」だ。古代史に詳しい人なら、「ああ、今回はその話か」と、おおよその見当はついているだろう。けれども、へそ曲がりだから、その前に東京と京都のへその話をちょびっとしておく。

 東京の中心は東京駅ではない。それは善福寺川の崖の上に祀られる大宮八幡宮(杉並区大宮)なのだという。東京都の重心がここにあって、「東京のヘソ」とも呼ばれている。歴史は意外に古く、前九年の役(一〇五六~一〇六二)の時、東北に向かう鎮守府将軍・源頼義が吉兆をここで目撃し、「乱を鎮めた暁には、神社を創建する」と誓願したのだった。
 時代は下り、正平七年(一三五二)足利尊氏は人見原(東京都府中市)の合戦に敗れ、一目散に浅草方面に退却するのだが(マラトンの故事よりもすごくないか?)、この時、大宮八幡宮の目の前の辻を通っている(どうでもよい話というなかれ。騎馬に乗った足利尊氏一行が走り抜け、さらに酔狂な声を張り上げて逃げ惑う雑兵の姿が目に浮かぶようではないか)。

 もうひとつ、京都のヘソ・六角堂の話をしておこう。
 六角堂(頂法寺。京都市中京区)が京都のヘソと呼ばれるようになったのは、境内の一画に地面からちょこんと突き出た「ヘソ石」があったためだ。その正体は「礎石」なのだが、昔の人間だって、そのぐらいのことは分かっていた。わざわざ指摘する方が、野暮というものだ。



六角堂のヘソ石。延暦12年、平安京遷都の際、
当時の六角堂が道路の中央にあったため、桓武天皇が祈願したところ、
御堂が五丈(約15m)ほど北へ移動したという。
その時この礎石が取り残されたと伝えられている。



 六角堂のお隣が華道家元の「池坊」だ。その昔、ここに池があって(今もコンクリート製の池があることはある)、聖徳太子が沐浴したのだという。その縁があったからか、聖徳太子の子分だった小野妹子の末裔が六角堂の住職を務め、本尊に花を供えてきたが、池坊専慶〈いけのぼうせんけい〉という僧が、立花で名を挙げ、華道の基礎を築いたのである。
 と、ここまでは、前振り。
 さて、六角堂で修行した有名人に浄土真宗の開祖・親鸞がいる。比叡山でしばらく修行をしたが、得るものが無く、失意の中、山を下り、六角堂に籠った。建仁元年(一二〇一)のことだ。
 百日参籠の九十五日目に、聖徳太子の偈文〈げもん〉を唱えていると、救世大菩薩(聖徳太子)が現れ、次のように語りかけた。
「修行者であるあなたが、もし宿報(過去生の因縁)によって女犯〈にょぼん〉をするというのなら、私が玉女(天女)となって相手になろう。一生の間、豊かな暮らしを送り、臨終に際しては導き、極楽に生まれさせよう」
 これを聞いた親鸞は、狂喜乱舞した。なぜって、親鸞は人一倍性欲が強く、延暦寺の「欲を捨てる生活」に悶々としていたからだ。
「僧の妻帯も可」という浄土真宗の土台が完成した瞬間であった。
 しかし聖徳太子も、こんな爆弾発言してよいのか?「つらかったろう。なんなら、オイラが抱かれてもいいぜ」って、そっち?
 いやいや、聖徳太子がおっしゃったわけではなく、親鸞にはそう聞こえたのだ。そこまで追い詰められていたのですよ。
 親鸞を責めるつもりは毛頭無い。「女犯は罪」という教えに対し、親鸞は立ち向かっていったのだ。動機は「人並みにエッチしたい~」であったとしても、これはこれで、大きな変革を仏教界にもたらしたのだ。
 そもそも、本当にお釈迦様は、「エッチはダメダメ」とおっしゃったのだろうか。はなはだ疑問ではないか。セックスと欲望を否定するということは、「森羅万象のいとなみを否定する」ことにつながる。大自然を見よ、動物や生物たちの日々の営みは神々しい。輝いて見えるではないか。
 宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』に登場する「鳥を捕る人」がヒントになろう。美しい鳥を捕らえて食べさせる男を、ジョバンニとカムパネルラは警戒する。けれども最後に、ジョバンニたちは、「もっとあの人と話をすればよかった」とうなずき合う。生命を食さなければ、人間も生きてはいけない。それは生き物の定めであり、巡り巡って、命をやりとりすることで、大きな輪が生まれる。それを否定することは、むしろ人間の驕りではなかろうか。奪った命に感謝し、謙虚に生きれば、それでよいではないか。
 生き物として男女が結ばれることも、否定すべきではない。必要以上の欲望は見苦しいが、最低限の欲を認めようとしないのは、真理を見極めることのできない宗教者の「ごまかし」にすぎない(なんで、こんな話になったのだ。そうだ、親鸞と聖徳太子の危ない関係の話だった)。
 ここで注目しておきたかったのは、六角堂とつながっていた「小野さん」が琵琶湖の出身だったことだ。
 さて、比叡山の東側の山麓に延暦寺と日吉大社の門前町が広がっている。修行僧が隠居する里坊が密集した場所で、これが、観光名所にもなっている坂本(滋賀県大津市)だ。



日吉大社の鳥居。左は比叡山延暦寺の石碑。


 日吉大社の祭神は大山咋神〈おおやまくいのかみ〉と大己貴神〈おおあなむちのかみ〉だが、元々は天智天皇が大神〈おおみわ〉神社(奈良県桜井市)から三輪明神を勧請したのがはじまりだ。ヤマトの守神を連れてきたのだ。
 天智天皇は白村江の戦い(六六三)に敗れたあと、各地に山城を築いている。唐と新羅の連合軍が攻めてくる恐れがあったからだ。ただし、唐が「先に高句麗を討つ」と言い出したこと、高句麗滅亡ののち新羅が唐に反旗を翻したことで、天智天皇と日本は救われたのである。
 この恐怖の時代、天智天皇が大津宮(滋賀県大津市)に遷都したのは、唐と新羅の連合軍が攻めてきたときのためと考えられているが、これはまちがいだ。
 唐の大軍が攻めてくるのなら、なぜヤマトに留まらなかったのだろう。奈良盆地は天然の要害で、西からの攻撃に頗る強かった。
 近江遷都の評判はよくなかった。民もこぞって批難し、失火が絶えなかった。それでも遷らざるを得なかったのは、天智天皇にとって、「東の軍団の襲来」が唐の軍勢よりも恐ろしかったからだ。
 天智の予感は当たった。天智天皇崩御の直後、壬申の乱(六七二)が勃発し、最終決戦が瀬田の唐橋の争奪戦になった。勝利した大海人皇子〈おおあまのみこ〉は、東海の尾張氏や東国の軍団とつながっていた。大津宮は、東から押し寄せる大軍団を、瀬田川(宇治川)で持ちこたえるための都だったが、一気に蹂躙されてしまった。天智政権は人気が無かったのだ。
 大津宮のすぐ脇を湖西線が走っている。開通は昭和四十九年(一九七四)と、比較的新しい。手前味噌で申し訳ないが、ここの信号系統を愚父が設計している。
 京都発の電車に乗ると、次が山科で、二番目の駅が「大津京」だ。ただし正確に言うと、「大津京」はなかったことが分かっている。存在したのは「大津宮」で、京域が造られる前に、近江朝は滅びてしまったのだ。
 大津京からさらに先に進むと、小野駅と和邇駅にたどり着く。すでに述べたように、六角堂で花を生けていた専慶は小野妹子の末裔で、小野氏はそもそも和邇(和珥)氏同族で琵琶湖に南西側に拠点を構えていた氏族だ。平安時代の小野小町も、この家から出ている。つまり、小野駅と和邇駅の周辺が、彼らの地盤であった。



湖西線和邇駅のホーム。2面2線の高架駅になっている。


 聖徳太子に引き立てられた小野妹子がいたから小野氏が目立つが、和邇氏は長い間天皇家にキサキを送り込み、大きな発言力を持っていたのだ。同族に春日氏がいて、奈良の春日山の「春日」は、彼らがこの一帯に陣取っていたことを今に伝えている。平城京遷都に際し、藤原氏に追い出されたわけだ。
 和邇氏が力を持っていたのは、琵琶湖の水運を牛耳っていたからだろう。琵琶湖は日本の流通のヘソだったのだ。
 米原から東に向かえば、陸路で東国につながった。また、日本海側から敦賀や若狭に集まった荷物は、峠を越えて琵琶湖に集められ、大津から水路で瀬田川を下り、一気に山城(京都府南部)に届けられた。琵琶湖は巨大なジャンクションだった。戦国武将が琵琶湖を重視したのはむしろ当然のことだったのだ。
 興味深いのは、和邇一族が瀬田川から宇治に出て巨椋〈おぐら〉池、木津川を経て、京都南部と奈良県北部の県境付近を支配していたことだ。地元の近江(滋賀県)から一番近い場所に、拠点を構えたことになる。
 多くの地域の首長がヤマトに集まってきて、ゆるやかな連合体を築いたが、だからといって主導権争いがまったく無かったわけではない。みな、戦いになれば、まっ先に故郷に援軍を要請し、敗れれば故郷に逃れただろう。だから本能的に、地元に近い場所に拠点を構えたのだ。
 そしてなぜ、小野氏と和邇氏に注目したかというと、彼らが構築した「近江からヤマトにつながる道」こそ、この先大いに注目されていくだろうからである。
 次回は、ヤマト建国の直前、この近江を陰から「育てた勢力」をあぶり出しておきたい。近江や尾張の成長を促し、ヤマト建国の知られざる功労者が存在したのだ。御影と近江がつながっていた理由も、分かってくるはずだ。



関 裕二 (せきゆうじ)

1959年千葉県柏市生まれ。歴史作家。仏教美術に魅せられ、足繁く奈良に通う。『古代史謎めぐりの旅 出雲・九州・東北・奈良編』『古代史謎めぐりの旅 奈良・瀬戸内・東国・京阪編』『仏像と古代史』(すべてブックマン社)、『蘇我氏の正体』(新潮社)、『東大寺の暗号』(講談社)、『神社仏閣に隠された古代史の謎』(徳間文庫)、『捏造だらけの「日本書紀」』(宝島社)など著書多数。

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